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愛農聖書研究会 合同プログラム

9月1日(木)~3日(土)、愛農が丘では第116回を迎えた「愛農聖書研究会」がもたれています。日本全国から関係者が集い、聖書を集中的に学び、交流の時を持つものです。今回は初めての試みとして、愛農高校の生徒たちとの合同プログラムが9月2日(金)にもたれました。

 

その一つとして講演がもたれ、「農業者である前に人間であれ」と題して創設者の小谷純一と深いつながりをもっていた堀田新吾さん(農業経営者)、日高ヒサ子さん(聖霊社事務局)、犬養光博さん(牧師)の3名が愛農会・愛農高校の歴史について語ってくださいました。およそ半世紀に渡る愛農との関わりにおいて、3名とも小谷純一という一人の人の影響が今も深く残り続けているのを感じました。

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パネルディスカッションの様子

太平洋戦争での戦争協力の反省からはじまった愛農会でありますが、「人づくりによる家づくり。家づくりによる村づくり。村づくりによる国づくり」といった教育に焦点を置きつつ、食糧増産を行うことを理念としていました。小谷先生も最初から有機農業をしていたわけではなく、はじめはホリドールや2・4Dという農薬(殺虫剤)・除草剤を使用しそれを関係者に奨励していた、ということ。小谷家で「愛農塾」の塾生として寝食を共にしていた日高ヒサ子さんは、田んぼにホリドールを散布するためのホースを運ぶ仕事を手伝っていたそうです。「薬品の匂いがして頭が痛かった。」と当時の体験を語ってくださいました。しかし、1973年の愛農聖書研究会で簗瀬義亮氏から農薬公害について学んだことから有機農業への転換を始めて行っていきました。このことは文献で読むより、現場に実際に居合わせた方からお聞きするとより様子が伝わってくるようでした。

 

「小谷先生は悔い改めができる人だった。自分が間違っている、と思えば素直に謝り、出直す力があった。戦後70年経って農業団体で今残っているのは、愛農会とヤマギシ会。思想のある団体が残ると私は思っていたが、団体が残っていくためには『悔い改め』ということが大切なのではないか。」ということを犬養牧師が語っていらしていました。誤っていることは素直に誤っている、と方向転換ができる柔軟さが重要なのだと思いました。

 

また小谷先生は愛農会や愛農高校の活動のため家庭を犠牲にしてしまっていたのですが、創設者も半世紀以上存続する私立の農業高校と農業団体、聖書研究会の礎を築くカリスマ性をもちつつも、一方で限界をもった人間であったことを改めて考えさせられました。

 

その後、グループに分かれてディスカッションをし、全体で賛美指導を受けて4部合唱をしました。午後は「内村鑑三DAY」と銘打って「読むべきは聖書・学ぶべきは天然・為すべきは労働」という精神を体験しよう、ということで聖書研究やピザづくり、ごま塩づくり、賛美歌の時間など多様なプログラムが持たれました。

霜尾共造さん

 

参加した生徒の1人は、「面白かった。幸せな食卓というテーマで自分の理想の食卓を考えてみた。聖書研究会に参加しているおじいちゃん、おばあちゃんたちと話せて良かった。」と言っていました。聖書研究会の参加者からも、生徒との交流はこれからも続けていきたい、とのことでした。

 

愛農高校を支えてきた多くの方々に触れてその歴史と想いに直接触れさせていただいたようで、筆者も良い時間を過ごさせていただきました。聖霊社のみなさんをはじめ準備にかかわってくださった方に感謝です。ありがとうございました。

 

[松田翼]