最後の晩さんはイエスの愛の満ちあふれです、と私は申しました。しかしこれはただイエスが感傷的に弟子たちと別れを惜しまれたとか、あるいはイスカリオテのユダの改心を促されたとか、というだけの意味ではありません。あるいは単に愛情のあふれた会食ということでもありません。実はこの晩さんに彼の死の深い意味、つまり彼の血は多くの人のために流されるのであり(マルコ 4:24)、彼の生命は罪の供えものとして(イザヤ 53:10)、多くの人のあがないとして与えられる(マルコ 10:45)ことが、最も力強く象徴されているのです。イエスの死は多くの人をあがなう愛であることの象徴として、最後の晩さんは今日まで比べられるもののない愛さんでありました。
(イエス伝、299)