哀歌

矢内原忠雄

ああ哀(かな)しいかな此の国、

肇(はじま) りて二千六百年、

未だ曽(かつ)て有らざるの国辱(こくじょく)に遭ふ。 

米機(べいき)帝都(ていと)の空を跳梁(ちょうりょう)し、

米艦(べいかん)相模(さがみ)の海を圧し、

東京湾頭(わんとう)に降伏を盟(ちか)ひ、

日章旗(にっしょうき)惨(さん)として声無し。

我が村は焼かれ我が民は掠(かす)められ、

我が子はガダルカナルに死し、

我が友広島に倒る。

幾十万の無辜(むこ)の血を以て、

戦争の終了は封印せられぬ。 

天皇、祖宗の神霊と民衆赤子(せきし)との前に泣き給ひ、

五内為めに裂くと宣ふ。

民は陛下の前に泣き、相共に

天地の創造主の前に泣く。

神よ、我らは罪を犯し我らは背きたり、

汝之を赦し給はざりき。

汝震怒りをもってみづから蔽(おお)ひ、

我らを追攻め、殺して憐れまず、

敵は皆我らに向かいて口を張り、

恐怖と陥落我らに来れり。

引き出せ、偽りの指導者を、

連れ来れ、偽りの預言者を。

彼ら国を誤りたるによりて、

君は辱められ、民害(たみそこな)はる。

剣によりて建てしものは剣によりて奪われ、

七十年の辛苦一日にして潰(つい)え、

二千年の栄光一夜にして崩(くず)れ、

空に光なく、民に生気なし。

我ら何の顔ありて父祖に見えんや、

何の志ありて子女を教えんや。

繁華の巷尽く焦土と化し、

焦土既に青草を生ずれども、

民はなほ焼トタンの小屋に住みて、

その様乞食に異ならず。

人おのれの罪の罰せられるるをつぶやくべけんや、

むさぼりとたかぶり、我らを此処(このところ)に導き、

神は一銭をも剰さず、報を要求し給ひぬ。

エホバこのくびきを負わせ給ふなれば、

我ら満足るまでにはずかしめを受けん。

そは主は永久にすてる事をなさず、

我らの患難(かんなん)を顧みたもう時来たらん。 

その時我らを責むる者責められ、

驕る者は挫かれ、謙る者は挙げられん。

もろもろの国エホバの前に潔からず、

戦勝国いかで敗戦国を審判かんや。

彼ら武力と財力とによりて傲る間、

我らは苦難によりて信仰を学ばん。

かくてエホバ義しく世界を審き給ふ日に、

我ら永遠の平和と自由を喜び歌はん。

(『嘉信』1945年8月号)

(現代語抄訳、『日々のかて』8月15日