パウロの歴史的意義

1998年02月08日

はじめに
アショカ王との類似
旧約聖書の継承
律法民族主義からの解放
まとめ


はじめに

今日の私の課題はパウロの歴史的意義です。パウロといえば何といってもキリストの教えと信仰を世界宗教とした第一人者です。パウロは小アジア(今日のトルコ)のタルソスにユダヤ人のおそらくはテント作りの子とし西暦1年ごろに生まれました。ペテロと同世代でイエスよりは10年ぐらい遅く生まれたと思われます。ローマ市民権を与えられ、ヘブライ語とギリシャ語を話し、律法を厳格に守るパリサイ人として育ち、当時有名な律法学者(ラビ)ガマリエルの下で教育を受けました。キリスト教徒を迫害し、殺して恥としない熱心なユダヤ教徒でしたが、ダマスコへの途中キリストに出会い一大回心をしました。それからはユダヤ律法主義をきっぱり捨ててキリスト教の伝道に全力を尽くし、知られているだけでも三回の大伝道旅行を行い、ギリシャ・ローマの各地にエクレシアをきずき、励ましました。その活動の中で、新約聖書の約四分の一を占める手紙の数々を書き残しました。

こうしてパウロはキリスト教の世界宗教へのいしずえをきずき、ヨーロッパ文明の道を定めました。パウロなくしてキリスト教はヨーロッパに広まらず、今日私たちが福音に接することもなかったと思います。

アショカ王との類似

このパウロの歴史的役割は仏教を世界宗教としたアショカ王の伝道にかけた情熱に比べることができます。仏教は紀元前5世紀にブッダ(563-483 BC)がインドの地で少数の弟子に救いの教えを説いたのが始まりですが、それは高度に知識人の瞑想(めいそう)主義であり、世界宗教となる素地はほとんどなくやがて消えていく運命にありました。しかしブッダの死から200年後、アショカ王の出現によって仏教の運命は一変しました。アショカ王は当時インド一円を支配下に治めつつあったマウリヤ王国の王子として生まれ、先頭に立って領地拡大の戦争を続けていました。しかし、ある日、自分の起こした戦争によって多くの人々を殺していることを悔い改め、一大回心をして、仏教を信じるようになりました。そして、それ以降は戦争をやめ、生命を保護し、仏法によって国を治める平和福祉国家を作ろうと決心しました。仏教僧を大使として各国に送り平和の決意と仏教の伝道を行わせ、国内では各地に寺院と仏法の石碑をたて、それまで口伝でのみ受け継がれてきたブッダの教えを初めて編集し、仏法を人の心に植え付けることに情熱を燃やし、そのために半生涯をささげました。アショカ王のまいた種はまず南に下ってスリランカに根付きその流れは東南アジアを仏教の民としました。また北に上ってパキスタン、アフガニスタン、さらに東に流れてネパール、チベット、中国、朝鮮、そして日本に渡ってそれぞれの発展をどげました。

アショカ王が世界伝道をしなければ、また仏典を編さんしなければ、仏教は今日インドの民に忘れられてしまったように、だれにも覚えられることもなく消えてしまったでしょう。そうすれば、日本が仏教を学ぶこともなく、親らんや日蓮が仏法を日本人の心に植え付けることもなかったのです。そしてこのアショカ王の伝道の情熱、聖典の制定、世界宗教へのいしずえは、パウロのキリスト教史に置ける貢献と驚くほど似ているのです。

旧約聖書の継承

キリストの教えと信仰が世界宗教となるためにパウロが果たした決定的役割とは、第一に旧約聖書をキリスト教の聖典としたこと、第二にユダヤ人の律法主義民族主義から解放したことであると、ウェーバー は言っています。

今日私たちは旧約聖書がキリスト教の聖典であることを当然の事として受け取っていて、それがパウロの貢献であること、又その歴史的重要性に気付きません。しかしキリスト教が旧約聖書を真に受け継ぐものであることを誰よりも強調し伝道したのはパウロです。その要点はイエスこそは旧約聖書に預言されている救世主であるという点です。この点で決定的な預言はイザヤ書53章の「苦難の僕」です。この預言はユダヤ人に半分忘れ去られていました。今日のユダヤ人もそうですが、彼らは旧約聖書の始めの五書(トーラー)を第一に重んじ、熱心に学び、その律法をこと細かに守りますが、預言書はそうではありません。ユダヤ人にとって救世主とはヨシュアやダビデのように武力でもってこの世の秩序を政治的にひっくり返し、それまでしいたげられてきたユダヤ人を世界の支配者にする人のことです。ですからキリスト者にとっては限りない霊感であり、聖書の何よりの証であるこの「苦難の僕」は、ユダヤ人にとっては彼ら待ち望んでいる救世主とは相い入れない、無意味な存在です。ユダヤ人は旧約聖書をその文字において重んじますが、キリスト者はその精神、その霊感において重んじます。

しかし旧約聖書のキリスト教典としての意義は救世主の預言のみに限りません。歴史的に重要となってくるのは旧約聖書の倫理実践性と理解性です。初期のキリスト教が伝えられた当時はギリシャ文化が支配的で、哲学的、あるいは神秘的知識が重んじられ、信仰を第一とするキリスト教は愚かな教えとしてさげすまされていました。この神秘的知識の獲得を最高の価値、究極の救いの条件とする宗教は東洋では悟りとか「ねはん」とか呼ばれていますが、ギリシャではグノーシスと呼ばれていました。福音がギリシャ世界に根付こうとするとき、信仰による救いをねじまげて知識による救いを唱えるグノーシスがキリスト教会の中でも流行し、一時福音の純粋性が危機にさらされました。その時にあってグノーシスの知識主義に対して防波堤となったのは旧約聖書です。キリスト教がギリシャ・ローマ世界に広がった1〜3世紀はまだ聖典としての新約聖書は成立しておらず(それが成立するには4世紀まで待たなければなりませんでした)、旧約聖書がキリスト教の唯一の聖典でした。

そして旧約聖書を学びそれによって信仰を養うことが何よりもグノーシスの知識主義に侵されない予防薬、治療薬になったのです。それは旧約聖書が子供にも解る倫理と神観念を特徴としているからです。

エホバが人に求めているものは何ですか、哲学的知識に精通するとか瞑想にふけって神秘的知識を悟るとか言うことではないんです。そんなことじゃなくて、神が人に求めているのは正義を行い、人を憐れみ、へりくだって神と共に生活することではないですか、とミカは訴えているんです(ミカ 6:8)。

あるいは儀式や音楽やパーテイーなどにひたっていい気分になることが神の救いでも、恵みでもないんです。神はそのようなものを憎んでいます。神が人に命じているのは、公正と道理をつきない泉のように流すことでなはないですか、とアモスは叫んでいるんです(アモス 5:21-24)。

これは知識でなくて倫理です。神秘でなく、実践です。聖書を学ぶことは宗教を神秘主義的、感情主義的あるいは儀式主義的なものから倫理的実践的生活態度の問題へと人の心を転換させます。旧約聖書とりわけ預言書を重んじず、学ばないキリスト教は偶像礼拝的儀式主義か自己満足的神秘主義に陥ります。

私たちは聖書に知識でなく信仰を学び(反知識主義)、儀式でなく倫理を習い、物質的利益でなくたましいの新しい生れ変わりを求めます。ギリシャ人は知識を求め、ユダヤ人は物質的な印を求めますが、私たちは十字架のイエスをのべ伝えます。こうして旧約聖書の真理を継承したキリスト教がパウロによってギリシャ世界にもたらされ、グノーシスの知識主義の嵐に耐えて、よく福音の純粋を守りました。

この旧約聖書の継承の歴史的重要性はパウロの死後から300年の間にかけて決定的になります。そういう意味でパウロの役割は間接的でした。

律法民族主義からの解放

しかしもう一つのパウロの歴史的使命は直接的で激しい戦いを要求されるものでした。それはユダヤ律法主義、民族主義からの解放でした。残念ながら、イエスの死後エルサレムに集ったペテロ、ヨハネ、イエスの弟ヤコブを中心とする最初のキリスト者はこの律法主義、民族主義から解放されていませんでした。ちょっとその箇所を見て見ましょう、ここはペテロが異邦人との会食を避けようとしたのをパウロがしかった場面です。ガラテヤ人への手紙 2章11-14節です。

ところが、ペテロがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面とむかって彼を叱りました。というのは、ヤコブから使わされた人が来るまでは、彼は異邦人と食事を共にしていたのですが、彼らがきてからは、割礼の者を恐れ、会食の席から身を引いて離れて行ったからです。そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善者の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれました。彼らが福音の真理に従ってまっすぐ歩いていないのを見て、わたしは皆の面前でペテロに言いました、「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることを強いるのですか」。

ペテロですら福音の意味するところは解っていても、ユダヤ民族主義非常な力で彼をしばりつけていました。そしてこの民族主義がキリスト教の世界伝道を妨げていました。これはちょうど戦争中の日本民族主義の前にクリスチャンといわれる人が全くの無力をさらしたのに似ています。この律法主義民族主義を積極的に打ち破らなければ、キリスト教は世界宗教となることが出来ません。この使命を成し遂げることがパウロに与えられた課題であり、戦いでした。彼はユダヤ人の民族主義律法主義と戦ったために何度も生命の危機にさらされ、最後は殉教の死をとげたと言われています。

ユダヤ人は神の選民としてその律法を厳格に守ることを誇りとし、他民族と交わることを避け血統においても儀礼においても排他的な民族主義に閉じこもっていました。具体的には他民族とは結婚しない、会食をしない、集りを持たない、子供の時に割礼を施し、そして安息日を厳守して、異教徒との区別をはっきりさせる習慣を作り上げていました。まことにユダヤ教を特ちょうづけるものはこの血肉による民族的かく離であり、儀礼的しゃ断です。ユダヤ人は、今日もそうですが、この民族的律法儀礼的閉鎖を頑なに守り続けています。なぜでしょうか。そこにユダヤ人の救いがかかっているからです。ヘブル・ユダヤ民族はエジプトの奴隷のくびきに始まって、バビロン捕囚、エルサレム神殿の破壊とパレスチナからの追放、そして最近ではナチス・ドイツによる600万人の殺害という、しいたげられ、いやしめられた民族の歴史を一貫して背負って来ています。この運命的なくびきに耐えさせる希望は、神が将来救世主をつかわし、この世を裁いて、ユダヤ民族を世界の支配者の地位に上げるという約束でした。この救世主の希望に必死にしがみついて、神の律法と儀式を厳格に守っているのです。

このユダヤ人の状況はインドのカースト制度と似ています。カーストの掟を最も厳格に守る人々は最もいやしめられた階級の人々です。彼らはそうすることによって来世のよりよいカーストへの生まれ変わりの救いに希望を託しているのです。ユダヤ人もカーストの人々もともに救いの約束が彼らを現在のいやしめられた地位に甘んじさせ、定められたタブーを厳格に守らせるのです。

さてこのカースト的民族性とパリサイ律法主義を打ち破るため、パウロが用いた武器は三つです。第一にイエスはキリスト(救世主)であること、第二に人は信仰によって義とされること、第三に霊による新生こそが重要であることです。

第一のイエスこそは救世主であるという点で決定的なのは先ほども触れましたようにイザヤ書53章の「苦難の僕」です。その所を開いて見ましょう。

私たちの聞いたことを、だれが信じましたか。主のうでは、だれに現れましたか。

彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育ちました。彼には、私たちが求めるような形もなく、おごそかさもなく、私たちが慕うような美しさもありませんでした。彼は人々からあざけられ、捨てられました。彼は悲しみの人で病いを知っていました。彼は人々から忌み嫌われ、私たちも彼を敬いませんでした。

まことに、彼は私たちの病いを負い、私たちの痛みをになったのです。でも、彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと、私たちは思いました。しかし、彼は、私たちの罪のために傷つけられ、私たちの不義のために砕かれたのです。彼への罰によって私たちは平安を与えられ、彼の打ち傷によって、私たちはいやされたのです。

私たちはみな、羊のように迷い、おのおの、自分勝手な道に向かって行きました。しかし、主は、私たちのすべての罪を彼に負わせました。彼は痛めつけられ、苦しみましたが、口を開きませんでした。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で静かにしている羊のように、彼は口を開きませんでした。彼はしいたげと、さばきによって取り去られたのです。

彼の時代の者で、だれが思ったことでしょうか、彼は民の罪のために打たれ、生ける者の地から断たれたことを。彼は暴力を振るわず、その口には偽りがありませんでしたが、彼は悪者とともに墓に入れられ、富者とともに葬られました。しかし、彼を砕いて、痛めることは主の意志でした。彼が、自分の生命を罪のいけにえとする時、彼は永遠に生き、子孫を見ることができ、そして主の心は彼によって実現されます。彼は、自分の命の苦しみの実りを見て、満足します。

主の正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの不義を負います。それゆえ、主は、大いなる者を彼に分け与え、強き者を受け分として取らせます。彼が自分の霊(たましい)を死に至るまで注ぎだし、背いた人たちと共に数えられたからです。彼は多くの人の罪を負い、背いた人たちのためにとりなしをしたからです。

「ここに預言されている苦難のしもべはイエスそのものではありませんか。ここはイエスが旧約聖書に約束されている救世主であることを示す何よりの証明ではありませんか」。そうパウロは叫んだに違いありません。しかしイエスを救世主であると信じ、依り頼むいうことは、律法と儀礼的タブーを行い守るというユダヤ人の誇りと尊厳感情をふん土のように無価値にする革命的な意味を持っています。聖霊による生まれ変わりなくして、ユダヤ人がこの福音を受け入れることは出来ません。

第二の信仰による義は、人は血肉に依るのでも律法によるのでもなく、神を信じて神に依り頼むことによって神の民とされるということです。ユダヤ人はアブラハムの子孫だから神の民なのではなく、神を信じ神に依り頼むから神の民なのです。またユダヤ人は律法を与えられているから、あるいは律法を行うから神に義とされるのではなく、神を信じ神の声に聞き従うから神に義とされるのです。律法は聖ですが、人を神の前に義とする力はなく、信仰に導くための教師の役割にしか過ぎません。じっさいアブラハムは律法によらず信仰によって神に義とされたではありませんか。この信仰による義はパウロの手紙の一大テーマです。この福音をたずさえてパウロはギリシャ・ローマの各地に散在しているユダヤ人の会堂(シナゴーグ)をまず始めに訪れ、信仰の証をしましたが、そのたびにユダヤ人から憎まれ、迫害されてきました。

第三の霊による新生は、大事なのは割礼による儀礼的肉体的イニシエーションでなく、心からの悔い改めと愛の実を結ぶ聖霊による新しい創造であるということです。人は新たに生まれ変わらなければイエスを罪のあがない主、人類の救い主と信じることは出来ません。キリストの十字架に自己の欲と情をつけ肉の己に死んで、霊の人として歩まなければ救いに至る実を結ぶことはできません。大切なのは肉の割礼でなく心の割礼です、とパウロはことあるごとにのべ伝え証してきたのでした。

まとめ

以上三つの突破口からパウロは彼のあらゆる知識と能力と体力と精神力そして何よりも聖霊と信仰の力によってこの困難な課題をなしとげました。その原動力はカースト的民族性の呪ばくと律法主義の行き詰まりから解放されたパウロ自身の体験とその自由の喜びでした。パウロの手紙はこの自由の喜びであふれています。パウロの伝えた福音の真理はギリシャ人には愚かであり(哲学的でない)、ユダヤ人にはつまずきですが(律法主義、民族主義の否定)、信仰にあずかるわたしたちには神の力です。こうしてパウロは福音の純粋を守って旧約聖書に信仰と倫理を学ぶキリスト教と、ユダヤ民族主義と律法主義の束縛らか自由になった新しいキリストのエクレシアをギリシャ・ローマの各都市で形成していきました。このすみのおや石から、キリスト教文明がヨーロッパに展開し、アメリカに渡り、その真理の流れは日本に伝えられて無教会の信仰は生まれたのです。

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