無教会の教会
内村鑑三
「無教会」は教会の無い人の教会であります。すなわち家の無い人の合宿所ともいうべきものであります、すなわち心霊上の養育院か孤児院のようなものであります。「無教会」の無の字は「ナイ」とよむべきものでありまして、「無にする」とか、「無視する」とかいう意味ではありません。金の無い人、親の無い人、家の無い人はみなかわいそうな人ではありませんか。そうして世には教会の無い人、羊飼いの無い羊が多いと思いますから、ここに小冊子「無教会」を発刊するにいたりました。・・・
本当の教会は実は無教会であります。天国には実は教会なるものはないのであります。「私は都(天国)の中に聖所(教会)を見ませんでした」とヨハネ黙示録 21:22 に書いてあります。監督とか執事とか牧師とか教師とかいう者はこの世限りのことであります。天国には洗礼もなければ聖さん式もありません。天国には教師もなく弟子もありません。・・・
しかしこの世にいる間はやはりこの世の教会が必要であります。そうして、ある人は人の手をもって作った教会に参し、そこに神を賛美し、そこに神の教えを受けます。ある教会は石をもって作られ、ある教会はレンガをもって作られ、またある教会は木をもって作られます。しかし私たちは何人も教会を持つというわけではありません。世にホームレスの子が多いように無教会信者は多いのです。ここにおいて私たち無教会信者にも教会の必要が出てきます。この世における私たちの教会とは何であり、どこにあるのでしょうか。
神の造られた宇宙であります、天然であります、これが私たち無教会信者のこの世における教会であります。その天井は青空であります。その板に星がちりばめてあります。その床は青い野であります。そのたたみは色々の花であります。その楽器は松のこずえであります。その演奏者は小鳥であります。その高壇は山の高根でありまして、その説教師は神さまご自身であります。これが私たち無教会信者の教会であります。
(1901年3月「無教会論」)