佐藤恵(53期)農業と私

2017年度 校内意見発表
農業と私
2年 佐藤恵(53期)


よく聞かれる質問の中で特に嫌いな質問だった。

私の家は小規模ながらも、養鶏と畑と水田を営む農家だった。小さい頃から農作業をする親の姿を見て育ってきた私にとって、暮らしに農業があることは当たり前だった。親について行って畑の手伝いや鶏の世話をするのは遊びのようで楽しくて好きだった。

 

しかし、小学校に上がって何年か経つと周りとの価値観にぶつかった。私の学年の農家の子は2,3人だったが、その中でも小規模の農家は自分だけだった。みな「将来は農家を継ぐ」と言っていた。一方私はそんなことは一度も思ったことがなかった。直接言われなくても、周りに「農業はダサい」という雰囲気があったことは分かっていた。第一次産業であるはずの農業に、興味や関心がもたれないうえ、ダサいと思われてしまうのはなぜだろう?農業は大変だし、汚れる。でもそれをなくして、命を育て生み出すことができるだろうか?その命を私たちが日々食べているのに…。周りは、いかにお金が儲かるかで将来を決めていた。価値の物差しがお金になってしまっていたのだ。当時の私は親の仕事に誇りを持てず周りに自分の家は農家だと言いたくなかった。畑で作業を手伝うところを見られるのも避け、気づけば農業に背を向け始めた。

 

ここまで遠ざかっていた農業に対して私が180度変わったのは突然だった。小学5年生の時に受けた社会の授業だった。その中で、日本の自給上に移動最後に行いちめん率が30%~40%に対し、農業者は労働者のうち3%、専業者になると、1%にも満たないことを知った。私にとって学校は、農業に対して理解されないところで、孤独だった。しかし、あくまでも授業をとうしてだが、農業が必要だということを改めて知ったのは学校だった。日本の現状に愕然とし、未来に不安を感じた。その時ふと私の頭に浮かんだのは農業だ。農業について特別何かを知ったわけではないが、何か自分のうちから溢れてくる思いがあった。私は心に決めた。農業がしたいと。

 

しかし、愛農高校にきて実際に農業をやってみると、その大変さを実感させられた。自分の家が農家だからと、農業のことを少しだけ知った気でいた。現場は違った。基本の鍬の使い方すら危ういくらい全く分かっていなかった。遊び半分で農作業を手伝ってきた自分はこれまで、親から何も学ぼうとしてこなかったことを痛感した。何といっても農業には休みがない。生きているものを育てているから当たり前だ。しかし、ここに来て焼き付ける日差しの中の畑の除草の辛さ。手の感覚がなくなるくらい寒い冬の日の水作業の冷たさを初めて知った。体力も追いつかず、作業中に疲労で何度も睡魔に負けた。正直農業のことは甘く見ていた。それだけに、思い描いていた農業と現実との違いに潰されそうになった。気付けば、命への感謝も忘れ、やらされている農業になっていた。農作業に喜びも楽しみも見いだせなくなり、苦痛だった。「農業は大切」の言葉にだけ押されてこの道に来たことに気付き、将来が見えなくなった。

 

このままでは駄目だと思い、自分を変えるため、ふと思い浮かんだのが農家実習だった。しかし現実的に、学校での実習だけで疲れ果てていた私がさらに農家に行って実習するなんて無理だと思った。しかし、学校では学べない技術を学べるかもしれないと薦められ、いろいろな農家に行った。そこで見たのは、自分たちで作ったものを語り合いながら囲む食卓。畑についてきて、一緒に作業を手伝う子供たちの姿。どこか懐かしさを感じた。それは自分の家族、家庭の風景と重なったからだということに気付いた。

 

思い返してみると、私の家にはいつも農業と家族がいた。静かに汗を流して作業する父の姿、常に鼻歌を歌いながら作業する母の姿を見てきた私には、二人が苦労しながらもどこか楽しく、喜びをもって作業しているように思えた。朝、学校に行く時も帰って来る時も親は畑から見送り、迎えてくれた。親とは、畑や食卓が一番の交わりの場だった。

 

私が悩みを抱えて母のところに行くと、母はいつも「とりあえず畑に行こう」と言ってきた。面倒くさいと思い、渋々付いていった時もあった。それでも不思議と畑作業をしながら自然を見ていると、その悩みが小さく思え心が穏やかになるのだ。それは、農業を通してみる自然の美しさが私の心に感動と癒しを与えてくれたのだと思う。そして、その自然の中で家族と作ったものを共にいただくことの幸せは何にも代えがたい。つまり、私にとって自分と家族を繋ぐ接点は農業だった。

 

当たり前のことだが、農業は自然に最も身近な生き方だと気付いた。そしてその自然は正直だ。自分の畑で野菜への肥料を怠ったことで、育ちが悪くなってしまったことが何度もある。自然は手をかけた分、豊かに実ってくれることを知った。現在私は、愛農高校の養鶏部に所属している。鶏もいかに私たちがより良い環境を備えられるかで、卵や肉の質が変わる。これらはまるで、「自分を写す鏡」だと思う。よく、「私がこの野菜を作った」などと表現する。しかし実際は、私たちが農業に育てられているのではないか。まさに自然があってこその人間なのだ。

 

今、私は将来農業がしたいと心から思う。それは農業を見つめ直したことで、本当の豊かさを知ったからだ。現代の価値観からすれば決して裕福でなくても、家族で育む農業の暮らしは、最も人間になくてはならないものがある暮らしだと思う。その豊かな暮らしを多くの人に繋げていきたい。それが今の私の夢だ。