塚田晴(54期) 有機農業と私

2018年度 校内意見発表
有機農業と私
2年 塚田晴(54期)


有機農業が必ずしも素晴らしいものだとは限らない。そのことを知ったのは皮肉にも有機農業を教育の柱とする高校に入学してからだった。

 

私の母は食べ物に敏感なほうで、私は小さいころから安全とされるものを食べて育った。私は1歳から小学校3年生まで福島に住んでおり、有機野菜は近所に住んでおられた大内信一さんという農家の方から買っていた。大内さんは有機農業一筋40年近くのベテランの農家だった。大内さんの作る野菜は本当に美味しかった。そして、農業に勤しむ大内さんの生き方は恰好良かった。そのような幼少の記憶を、私はいつの間にか忘れてしまっていたが、漠然と「有機農業は素晴らしいものだ」という固定観念だけが残っていた。

 

小学校3年生の春、東日本大震災が起こった。さらに、それに伴い、原発事故が起こった。私たち家族は飛散した放射能に悩んだ末、母方の祖父母がいる兵庫に自主避難することにした。現地に留まっていた大内さんが受けた被害も大変なものだった。単純に汚染だけでなく、風評被害も受けた。産地直送や生協を通じて約300戸の消費者に野菜を届けていたが、事故後、提携している消費者は半分以下になった。その次の年、大阪で大内さんの講演会があることを知り、私は親に連れられて聞きに行った。主催したのは大阪の消費者団体だった。

 

大内さんは、震災後、長年築き上げたものが崩れゆく中でどのように農業と向き合ってきたかという話をされた。その後の質疑応答の時に、ある女性は、大内さんの「ゆくゆくは自分の野菜をまた学校給食に使ってもらいたい」という大内さんの言葉に対して、「給食に使われると、子供たちが半強制的に福島の野菜を食べさせられることになってしまうが、それに対してどう思うか」と問いかけ、ある男性は美味しいと思って食べた野菜が福島産だと知ってだまされた気分になった経験をさも自分が被害者であるかのごとく語った。このとき私の「有機農業は素晴らしい」という固定観念はわずかに揺らいだ。

 

私が当時考えていた「有機農業の素晴らしさ」とは「安全性」であったからだ。しかし、私はその安全性を、他人を傷つけてまで追求している消費者団体の人たちに全く共感できなかったのだ。その時感じた疑問を抱いたまま高校に入学した。転機が訪れたのは入学して半年後の、高校のカリキュラムの一つである7泊8日の農家実習だった。私は、大阪の山奥で農業をしておられる、堀田新吾さんという農家の方にお世話になった。堀田さんも大内さんと同じく、長く有機農業をされている方だった。堀田さんは初めてお会いする方だったが、どこか懐かしく感じた。それは、私が大内さんの姿を重ねていたからだろう。
堀田さんは、芋掘りの際、私が食べられないと思って除けていた小さな芋も収穫されていた。その日の食事でいただいたその芋は、食べてみると甘くて美味しかった。また、食事の前には堀田さんの感謝の祈りがあり、なごやかに食事をいただくことができた。私が憧れていたのはこんな生活だったのだ。その食事はもはや、ことさらに「有機野菜」と言う必要はないものだった。

 

本当に美味しい有機野菜は、そう言われなくても美味しい。そのことを裏付けする説明をして下さったのは、堀田さんの娘さんである直子さんだった。「有機野菜」といわれるものの中でも品質が良いものとそうでないものがあること。美味しさや外見の良し悪しには科学的根拠があること。それらのことから目を背け、手放しに支持するようになると、盲目的な有機農業信奉者になってしまうということ。その直子さんの言葉で、私の中の記憶や考えが一気に結びついた。以前、大阪の消費者団体の人たちに感じた嫌悪感の正体は、彼らの盲目的短絡思考だったのだ。彼らは手放しに「安心・安全」というものを支持し、正義の刃で他人を傷つけていた。そして、私も彼らとそう変わらなかったことに気付いた。「有機農業」というパッケージに捕らわれ、その本質を見ようとしていなかったのである。

 

また、実習の中でキャベツの虫取りをしていたとき、虫が多いものとあまりついていないものがあることに気付いた。質問すると、直子さんが答えて下さった。虫に食われている野菜は、その個体が弱いか、品種が有機農業向きでない、もしくは養分の量とバランスが適切でないからだ、と。虫食いや生育不良を「有機だから」と言い訳してはならないということも、初めて聞いた私には衝撃だった。たくさんのことを知り、学び、体験して、私の農家実習は終わった。

 

そして、分かったことがある。有機農業は科学的裏付けがなくてはならない。しかし、それですべて割り切れるわけでもない。大内さんや堀田さんには、共通して思想がある。例えばそれは、今与えられている資源を大切に使うことだったり、日々の恵みに感謝することだったり、人や生き物とのつながりを生かし大切することだったり、といったことではないだろうか。そこには、効率を超えたものがある。だが、それが結果的には高い品質を生み出しているのだ。
科学と思想、一見相容れない概念が相互につながり、展開していく営みこそが、本当に素晴らしい有機農業ではないか。

 

有機農業が必ずしも素晴らしいものだとは限らない。そのことを知ったのは皮肉にも有機農業を柱とする高校に入学してからだった。だが、本当に素晴らしい有機農業を知ることができたこの高校のおかげだ。高校生活は残り2年を切ったが、これからの毎日も一日も無駄にすることなく、大内さんや堀田さんのような農業者を目指して、実践的に学び続けたいと思う。