塚田晴(54期)二本松と私

2017年度校内意見発表
二本松と私
1年 塚田晴(54期)


福島県二本松市は私が生まれ育った街です。正確に言うと生まれてはいませんが一歳から小学三年生まで、つまり幼少期をそこで過ごしました。私は二本松に住んでいなければ愛農に来ることはなかったと思います。そして、二本松を去ることがなくても愛農に来ることはなかったと思います。

 

二本松での大きな出会いは愛農会の大内信一さんとの出会いでした大内さんには家族そろってお世話になりました。田植えをやらせてもらったり、畑を借りて野菜を作ったりと大内さんのおかげで私は小さいころから農業に触れていました。土と触れ合うことの楽しさはこのとき知りました。
しかし、小学三年生のとき、大きな出来事が起こりました。図工の時間が終わったころ、校舎が揺れ始めました。当時は小さな地震が多かったので、すぐ止まるだろうと思っていたのですが、なかなか揺れはおさまらずますます激しくなっていきました。一旦揺れが引いたときに全校生徒は校庭に避難しました。親が迎えに来て、雪の中を上靴のまま家に帰りました。

 

直接的な大きな被害は少なかったものの爆発した福島第一原発から五十五キロという距離は私の親には安心できる距離ではありませんでした。生まれたばかりの妹もいたので、私たち家族は父を残して神戸の母の実家に避難することになりました。その生活は一年続きました。
その際、周りの人から冷たい視線を向けられたのも事実です。また、一時帰省したとき、よく行っていた直売所に行ったら店員の方に「良かった、避難しちゃったのかと思ったよ」と言われた時は子どもながらに複雑な気持ちになったのを覚えています。何にせよ、私は故郷を捨てました。

 

実際に私が親の立場だったら同じ決断が出来るか、というのはよく考えます。もし、私が福島に一人で住んでいたなら、そこを動くことはないと思います。しかし、小さい子どもがいたら。私はまだ結論を出せていません。
避難してからしばらくは農業と関わることもなく過ごしていました。そして数年後、二本松に行ったときに久しぶりに大内さんに会いました。畑は変わっていました。しかし、私にはすごく懐かしく思えました。当時、私は全然違う職業を将来の夢に掲げていたのですが、このとき初めて農業って良いかもな、と思いました。おそらく二本松にそのまますんでいてもそう思うことはなかったと思います。

 

中学のとき、「じゃあ、君は将来福島で農業をしたいんか?」と先生に聞かれたことがあります。正直、私としてはとても困りました。それは僕が農業をしたいと思って以来ずっと考えないようにしてきた質問だったからです。そのときは適当な返事でお茶を濁しましたが、私はずっとその質問が頭から離れませんでした。

 

以前、大内さんの講演会を大阪に聞きに行ったことがあります。確か「震災後の農業」といったような内容で、大内さんは放射線量を下げるための努力の話などをされていました。しかし、主催者側は「福島のものなど食べない」という考えの人たちで大内さんを困らせるような質問ばかりしていました。私はそれを見て、とても悲しい気持ちになりました。福島で採れたというだけで、放射線量が基準値より下回っていても買ってもらえない農作物。私は基準値に達していないものは食べても良いし、むしろ復興のために食べるべきだと思うのですが、でも自分は避難しているし、と思うと複雑な気持ちになるのです。

 

結局のところ、福島、二本松に帰るのかという問いの答えはまだ出ていません。しかし、愛農高校に入ったことでその答えに近づけたら良いと思います。愛農に入るきっかけになった福島、二本松と愛農を通じてもう一度関わっていきたいです。