益井 未央(55期) 私はこの町にいたい 

2018年度 校内意見発表
私はこの町にいたい
1年 益井未央(55期)


私の地元の名前は青部というところです。私の地元は山の斜面に沿ってお茶畑が広がっています。また、高齢者が多く荒れた茶畑がとても多いです。そして、父はこの町で農業をしています。お茶の苗を育ててお茶つみをして商品をつくり販売までしています。また青部には、木造の旧小学校や吊り橋などの歴史的なものも残っています。そして、私は地元で農業をして生活したいです。小学生の頃の私なら農業なんてしたいとは思いませんでした。

 

その頃の私は「好きなことを仕事にしたらかっこいい」と思い色々楽しそうな職業のことばかり考えていました。農業については大変だし寒くても暑くても外に出てないといけないつまらない仕事だと思っていました。そして、私の父はお茶を作っているのでクラスメイトも先生も大きくなったらお茶農家を継ぐのか?と毎日のように聞いてきた気がします。中学一年生の頃は地元の高校でいいやと人事のように思い毎日過ごしていました。

 

でも、中学二年生になりクラスの雰囲気が悪くなりました。このまま高校に行っても同じような雰囲気なら、勉強も嫌いだし高校なんて行かず仕事をすると考えていました。もちろん世の中はそんなに甘くはありません。気づいたら中学三年生。周りはどの高校に行くか決めはじめてましいた。私はクラスの雰囲気をどうにかしたいと思っていたので高校や職業についてあまり知ろうとしてなかったです。その時のクラスは学校に来ていなかった女の子についての陰口が多くとびかっていました。
高校生になったらみんな違う学校に行くことになるのにこの気まずい関係のまま卒業したいとは思いませんでした。だから自分が出来ることはないか考えました。そして私は、言いたいことは自信を持って言ってみることに決めました。少し経ちあの女の子について先生がクラス全員に話を何度もするようになりました。その後もすぐにはクラスの仲はよくなりませんでしたが、だんだんと良くなっていきました。

 

その後も少しずつ彼女は学校に居る時間が増えていきました。人は一人一人考えていることが違えば好きな人・嫌いな人が居ると思います。でも、好きな人と一緒にいるだけでは社会に出た時、すぐに壁にぶつかると思います。人間関係は難しく、考え方が違えばぶつかることは何度もあります。でも、話し合うことが大切だと中学三年生になり分かった気がしました。私はクラスの仲が良くなり良かったと思いましたが高校が決まらず本当に私がしたいことは何か考えるようになりました。定時制の学校や農業高校について調べたりしましたが行きたいという気持ちはあまり強くなかったです。でも、母がテレビで愛農高校を知った時に私はこの学校の雰囲気に心惹かれていました。十一月の収穫祭や体験に来て愛農高校に入りたいと思いました。家族に負担がかかるし寮生活という不安があり、まだはっきりとは決められていなかったです。愛農高校に入れば農業の知識だけでなく、さまざまな考え方を持った人と関わり、人間関係の学びも出来ると思ったので親にしっかり話をして受験することを決めました。

 

この愛農高校で過ごして、GWに久々に家に帰ったら父の仕事の手伝いをしたいと思う私が居ました。まだその大変さについていけない自分でしたが、父が大切にお茶を管理する姿やどんなに体が痛くなっても頑張る姿がかっこいいと思いました。父は自営業で家族の生活を支えています。私も父のようになれるように愛農高校で頑張りたいと思います。
今まで私は十五年間ずっと青部で過ごしてきました。何もない青部をみんなあまりいいと思っていませんでした。でも私は青部という地区にいたからこそ色々な人に出会えた気がします。私が出会って来た人はみんな優しく青部という地区が好きな人でした。子供から大人まで色々な人と話をしてとても楽しかったことを覚えています。だから、大人になっても青部にずっと暮らしたいと思っています。

 

でもこの町には高齢者が多く荒れた茶畑がとても多いです。この茶畑を利用し農業をして青部をもっと多くの人に知ってもらいたいと考えています。だからこそ私は、青部の木造の旧小学校や吊り橋などの歴史的なものを残しつつ町から来た人達が楽しめる場所にしたいです。また、沢山子供から大人までが集まる地区になってくれたらと思っています。そのために、私は青部の現状や良いところを見つけていきたいと思います。そして、私自身の学びのためにこれから会う人達との時間を大切にして農業や人間関係、勉強を頑張ります。

 

そしていつかは、青部で父の仕事の手伝いや茶畑を利用した農業をしたいと思います。