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イースター礼拝 月本昭男氏(上智大学特任教授)講演

 イースター礼拝

 4月21日()、イースター礼拝が行われました。講師は上智大学特任教授の月本昭男先生です。講演の前に、文化キリスト教委員会のメンバーがイエスの「復活」を劇にしていました。校長先生はこの劇について「イエスの昇天するシーンはとても良かった」と講評いただきました。生徒たちからも「面白かった」という評判をいただきました。演じていた生徒たちも楽しめた様子で、和やかな雰囲気で月本先生の講演が始まっていきました。

 月本先生の講演の演題は、「われここに立つー良心について考えるー」ということで、お話しをいただきました。月本先生は群馬県の中高一貫校、「新島学園」のご出身です。そこで聖書の信仰を得て、学問的に追究するため東京大学へ経てドイツへ留学、長く立教大学で教えられ、現在は上智大学で教鞭を取られています。

 「みなさんは良心の呵責というものを感じられたことがありますか?」という発題からお話しは始まりました。日常の場面においては、電車でお年寄りに席を譲るか否か、といったことが良心について考える場面かもしれません。月本先生は「新島学園」で「良心」という言葉が心に根付いた、とお話しされていましたが、創設者である新島譲の教育思想について、教え子に宛てた次の言葉を紹介されていました。

 「良心の全身に充満したる丈夫(ますらお)の起こり来たらんことを(望んでやまざるなり)」と書かれていたそうです。良心を身体に満たした人を育てたい。人を育てる教育という場面において、「良心」ということが焦点に取り上げられています。

 別の表現で良心について考えるなら、カントの実践理性批判に書かれた次のような言葉があるそうです。

 「何度も繰り返し長い時間をかけて考えれば考えるほど、いつも新たな、いよいよ強い感動と畏敬とで心を満たすものが2つある。わが上なる星空とわが内なる道徳法則とである。」この道徳法則というのは、良心と呼び換えることができるのではないか、とのことでした。良心というものの奥深さを感じさせられます。

 「ここで良心が一欠片もなかった人の話をしましょう。」ということで、島秋人のエピソードを紹介されました。島秋人は本名、中川覚。33歳で死刑になった人です。11歳で母親が病死し、父親の仕事もうまくいかず、同級生からは「低能児」と言われていました。中卒で仕事も長続きせず、次第に犯罪へ手を染めるようになっていきました。ある日、農家への強盗に入り、主人にケガをさせ、それをかばおうとした妻を殺めてしまいました。金目のものを持って逃げましたが、やがて逮捕されました。1961年~1967年の間、監獄におり、死刑判決を受けました。中川さんは獄中で自分の人生を振り返りました。

 「にくまるる死刑囚われが夜の冴えにほめられし思い出を指折り数ふ」という短歌を残していますが、自分の人生の中で1度だけ褒められたことがあったことを思い出したそうです。それが、小学校の頃、図工の時間に吉田先生という方に図画が褒められたことがありました。その吉田先生に手紙を書いたのです。そして、吉田先生はご夫妻で中川さんを訪ねてきたのでした。吉田先生のお連れ合いが中川さんに短歌をつくることを勧めたのがきっかけで、「島秋人」というペンネームで新聞に投稿をはじめていきました。「秋人」とは「囚人」とかけて付けた名前です。新聞に投稿を続けていくうちに、ある女子高生が「島秋人」の短歌に感動して手紙をくれました。獄中では花も見れないだろう、と季節の花を折り込んで。前坂和子さんという方でした。次第にお互いに友情が芽生え、恋愛感情に発展していきました。この前坂さんが「島秋人」の句集「遺愛集 いのち愛おしむ獄中歌集」(東京美術、愛蔵版、2004年)を出版する仕事をされるようになります。

「手のひらの小さき虫がくすぐりて死刑囚われに愛を知らしむ」といった歌がおさめられています。

また、千葉てる子さんというクリスチャンの方と出会い、中川さんに聖書を勧めた。初めは断っていたそうですが、次第にキリスト教信仰を持つようになり、千葉さんの養子になっていきました。死刑直前の句と言葉に次のようなものがあります。

 「この澄めるこころ在るとは識らず来て刑死の明日に迫る夜温し」

 「ねがわくは、精薄や貧しき子らも疎(うと)まれず、幼きころよりこの人々に、正しき導きと神の恵みが与えられ、わたしく如き愚かな者の死の後は死刑が廃されても、犯罪なき世の中がうち建てられますように。わたくしにもまして辛き立場にある人々の上にみ恵みあらんことを。主イエス・キリストのみ名により アーメン。」という言葉を残して亡くなられていきました。「この澄めるこころ」とは、良心と読み替えてもいいのではないでしょうか。どんな人にも良心はある、という話をいただきました。

 良心、ということで思い出されるのはマルティン・ルターのことです。1517年にドイツでルターが教会に対する免罪符の販売に抗議して「95か条の意見書」を出しました。当時の教会はヴォルムス帝国議会にルターを召喚し、主張の撤回を求めました。それに対するルターの言葉が次の通りでした。

  「教会や公会議などはしばしば過ちを犯した。・・・だから、聖書の根拠、または明白な理性によって納得させられない限り、依然として聖書の証拠を確信している。私の良心は神の言葉に縛られている。良心に逆らって行動することは確実ではないし、正しくない。それゆえ、私は何ごとも取り消すことはできないし、またそうしようとは思わない。私はここに立つ。私にほかのありかたはない。」「我、ここに立つ」(1521年、ヴォルムスの帝国議会にて)

 このルターの主張の根拠は、使徒言行録23章1節にあるパウロの言葉に「わたしは今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました。」と、良心とは神の前に立つときに働くもの、という理解でした。

 最後に月本先生は良心について、尹東柱という1917年~1945年の間、太平洋戦争中に生きた詩人の詩を紹介されました。

「序詩

死ぬ日まで天を仰ぎ

一点の恥じ入ることなきを

葉あいにおきる風にさえ

私は思い煩った

星を歌う心で

すべて死にゆくものをいとおしまねば

そして私にあたえられた道を

歩いてゆかねば

今夜も星が、風にかすれて泣いている。

(尹東柱「金時鐘訳」『空と風と星と詩』岩波文庫

 序詩にある「死ぬ日まで天を仰ぎ」という姿勢は、良心を保って、神の前に生きるパウロの言葉に通底するものである、ということでした。

 月本先生は「みなさん。今日言いたいことは一つです。良心をもって生きていきましょう!」と講演を結ばれていました。

愛農高校の建学の精神には、「神を忘れた良心は麻痺し、土を離れた生命は枯死する」という言葉があります。良心について、聞きなれた言葉ではありましたが、今回は心に残り、活きるかたちで教わることができました。私もいかに生きるかを考える上で、良心を意識して歩んでいこう、と思わされました。月本先生、有難うございました!

[松田翼]