エルサレムの娘たちよ、切にお願いします。もし私の愛する人を見たなら、私が愛のために病みわずらっていると、彼に伝えてください。愛する人を求めて(雅歌 5: 8)
人はその心の愛する人をさがし求め、それを見出すまでは心の平安がありません。私たちの心の真に愛する人、私たちの心の愛を真に満たす人は、神だけです。あるいは神の使わされたキリストだけです。
彼を見出すまで私たちの心は探しに探しつづけて休む時がありません。世の哲学者、神学者、学者、教師に聞いても、彼らが私たちの熱い霊(たましい)の探究に対して答えるところは、風のようなものです。冷笑か、そうでなければ空虚です。私の心の愛する人の姿は、私自らが見出すほかはありません。 ・・・ 求める心の熱い人は、なりふりかまわず自分を投げかけ、彼の手をとり、彼を引きとめて放しません。そして彼を心の最も奥深い所にみちびき入れ、いつまでも彼は私のもの、私は彼のものとなります。こうして私の霊(たましい)の慕(した)う救い主を見出した喜びは、真珠の埋められた畑を手に入れた商人の喜びにまさるとも劣らないのです。