7 月 1 3 日
偽善者(ぎぜんしゃ)パリサイ人よ、あなたたちはわざわいです。あなたたちは白くぬった墓です。外側は美しく見えますが、その内側は腐敗(ふはい)と汚れに満ちています。たとえ、あなたたちが外見を正しく立派に見せても、その内面は偽(いつわ)りと邪悪(じゃあく)に満ちてるではないですか。

マタイ 23:27-28

パリサイ人

 パリサイ人の考えている神は、法律の条文集・判例集(はんれいしゅう)のような神です。彼らは神中心主義ということを言いましたが、彼らの神中心とは律法とその細い規則とをもって日常生活を厳格に束縛(そくばく)してゆくことにありました。だから彼らは熱心であればあるほど、人の自由を奪い、生活を亡ぼすものでした。彼らの神は人の霊(たましい)を安息させる神ではなくてこれを窒息(ちっそく)させる神、人の生命を救う神でなくてこれを殺す神となったのです。彼らの言う言葉だけはりっぱですが、その言葉が化石してしいました。りっぱな言葉が化石した時はいちばん悪いのです。ですから宗教上の言葉を口に出す時は非常に注意しなければなりません。愛とか信仰とか調子の高い言葉は、よほど気をつけて使わないと害悪がひどいのです。パリサイ主義でも、後のカトリック主義、あるいはプロテスタント主義でも、すべて始めは崇高(すうこう)な精神に動かされた改革運動でありましたが、時を経るに従いその思想が化石化し、霊感よりも伝統に頼り、形式だけになって本来の精神を失いました。恐るべきことであります。清教徒(ピューリタン)でも無教会主義でも、こうなれば堕落(だらく)の始めです。



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