日本の預言者、日蓮

Nichiren
(1222-1282) 
ウィーン民族博物館所蔵
1.日蓮の言葉
2.矢内原忠雄が語る日蓮
3.日妙の心をつくした愛
4.日蓮を学ぶサイト

1. 日蓮の言葉

日本国の柱

日本国にはただ法華経の名のみあって、これを身に習得した人は一人もいません。だれを法華経の行者と言いますか。寺を焼いて流罪になる僧侶は数多く、公家や武家にへつらって憎まれる高僧は沢山います。このような人たちを法華経の行者と呼べるでしょうか。法華経の言葉が空しくなければ、三種類の敵が国中にあふれています。もし法華経の行者がいなければ、聖典の言葉が破れます。これは何としたことでしょうか。いったいだれが法華経のゆえに、ののしられ、あざけられたでしょうか。いったいどの僧が法華経のゆえに、刀でおそわれたでしょうか。法華経のゆえに公家や武家に忠告した僧がいるでしょうか。法華経のゆえに、何度も流罪にされた僧はどこにいますか。日蓮のほかにこのような人は日本にいません。天が日蓮を守らなかったために、日蓮は法華経の行者といえないのでしょうか。・・・ 私は日本の柱となります、私は日本の目となります、私は日本の大船となります、と立てた誓いを破りません。

(開目鈔)

私は無に等しいです

私は無戒のいやしい無知な僧にすぎません。しかし二千年前に法華経がそうのような人物を記し、ブッダがその人物の迫害されることを預言している事を思うと、私は喜びを言い表せません。

(四恩抄)

家族や財産を思いわずらってはいけません

私の弟子と名乗る人はだれでもおくびょうであってはなりません。あなたを弟子の道から離そうとする親や妻や子供に心を配ってはいけません。あるいは自分の財産に気を取られてはいけません。法華経のために自分の命をぎせいにするのは石を金と、あるいは汚物をコメと交換するようなものであることを、あなたたちは皆心に深く覚えて置きなさい。

(種種御振舞御書 1276年)

私はあなたと共にじごくに行きましょう

私が首切りの刑に向かうとき、あなたは私を乗せた馬の手綱をつかみながら泣き叫びました。私の生きている限りその事をどうして忘れることが出来ましょうか。もしあなたが自分の罪のためにじごくに落ちなければならないのなら、私はブッダの天国には行きません。たとえ彼がどんなに私を仏として招いても、私はあなたと共にじごくに行きましょう。もし私とあなたがじごくにいるなら、ブッダも仏法もたしかにそこにあるはずです。

(四条金吾への手紙、1277年 [崇峻天皇御書])


2. 矢内原忠雄が語る日蓮

(1). 預言者として立つ
(2). 立正安国論
(3). 最初の迫害
(4). 佐渡流罪
(5). 開目抄
(6). 法難を喜びとする
(7). 預言の成就
(8). 日蓮の信仰
(9). 日蓮の性格
(10). 日蓮の宗教
(11). 信徒との愛の交わり
(12). 真理を愛した日蓮


3. 日妙の心をつくした愛

日蓮を真理の預言者として心から信じ、心をつくして愛した一人の女性がいました。この女性の名を日妙(にちみょう)または乙御前(おとごぜん)といいます。日蓮が佐渡に一人島流しになったとき(1270年)、彼は自分の死を覚悟しました。佐渡に孤独の寂しさと死と隣り合わせの生活と自らの真理に対する使命に悩み苦しんでいるとき、彼に同情となぐさめを与えたのは、実にこの一人の女性の信仰と愛でありました。

日妙は何度も施しを送ったばかりでなく、当時夫と離別していたので、幼子を連れて一人で、はるばる鎌倉から佐渡まで日蓮に会いに出かけました。この訪問の旅を日蓮は後で次のように日妙への手紙に書いています。

相模の鎌倉から北国の佐渡までは一千里以上の旅です。山々は険しく、海は荒く、時に雨と嵐は止まることを知りません。そこには山賊と海賊が満ちていて道をふさぎ、宿先の人々の心はトラのように恐ろしく野良犬のように凶暴です。あなたはまるで地獄の道の苦しみを受けてきてたように感じたに違いありません。しかも、私たちは困難な世に生きています。 ・・・ しかし、このようなあらゆる危険にもかかわらず、あなたは幼子を連れて佐渡に来ました。・・・ あなたが道中に被った苦難は想像を絶したに違いなく、ましてや言葉に言い表せるはずがありません。

(日妙聖人御書, 1272年)

そして日蓮は日妙の信仰と愛を、次のように讃えています。

わたしはあなたのように仏教の真理を求めて一千里を旅した女性をいまだかつて聞いたことはありません。 ・・・ あなたの徳に比べられる女性は一人もいません。 ・・・ あなたは間違いなく日本の女性の中で第一の妙法蓮華経の行者です。それゆえフギョウボサツの義にならってあなたを日妙聖人と名付けましょう。

(日妙聖人御書, 1272年)

その後日蓮が身延に引きこもったときも日妙は訪問しています。その時は次のような感謝の手紙を日蓮は日妙に書いています。

私が迫害にあって佐渡まで流されると、法華経を本当に信じる人とそうでない人が知られてきましたが、私を佐渡まで訪ねる人は誰もいませんでした。しかしあなたは私に何度も施しを送ったばかりでなく、女性でありながら私を訪ねて佐渡まで来られたことは、この世のこととは思えない驚きでした。その上今度はこの身延に私を訪ねて下さいました。本当に何と感謝していいかわかりません。

乙御前御消息 1275年)

日妙の日蓮に対する信仰と愛は、心をつくしてイエスを愛したベタニアのマリアに較べられます。日妙はマリアのように一人の預言者を出来る限りをつくして愛し、その孤独と死の苦しみをなぐさめたのです。


4. 日蓮を学ぶサイト

日蓮の著作と手紙(小林昭雄)

原典の参照を可能にした最初のサイト。

日蓮大聖人御書全集 五十音(満月城岡山

日蓮聖人遺文仏教フォーラム、さっとば

法華経と日蓮の五大部: 立正安国論開目鈔観心本尊抄撰時抄報恩抄

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