「私の時はまだ来ていません。しかしあなたたちの時はいつも備わっています。この世はあなたたちを憎みませんが、私を憎んでいます。私がこの世の悪である事を証しているからです。あなたたちこそ祭りへ行きなさい。私は行きません。私の時がまだ満ちていないからです」。一つの命
イエスの生涯は求めずして戦闘の生涯となりました。しかし戦いというのは事ごとにケンカを吹きかけることではありません。またいつでも敵弾雨飛(てきだんうひ)の中に身をさらして立っていることでもありません。どうせ自分の生命を真理の敵との戦いにおいて捨てるにしても、私たちはただ一つしか生命をもっていないのです。それを一生に一度捨てるのです。だから地上で果たすべき最後の使命を果たす日までこれを大切にしなければなりません。敵との小競り合いによって、福音宣伝のための精力を浪費することは避けなければなりません。イエスは進むも退くも、聖霊に導かれて風のように自由でした。彼の生涯の大目的は神の国の建設でした。彼の前途にはすでに十字架が芽を出していましたが、なお残る地上わずかの生涯を専心神の国のために労しなければならないのです。