1 月 3 1 日
私の言葉を受けた人は誠実に語らなければなりません。私の言葉は焼きつくす火のようではないですか、岩を砕くハンマーのようではないですか。

エレミヤ 23:28-29

預言者藤井武

藤井武は神の言葉が永遠であることを宣べた預言者でした。多くの人は彼を知りません。しかしながら彼によって宣べられた神の言葉は永遠に立ちます。草は枯れ、花はしぼみますが神の言葉はしぼみません。ある時藤井が私に語った言葉の中にこういう事がありました、「自分の宣べる言葉によって自分が審かれるかも知れません。けれども仕方がありません、神の言葉だから宣べなければなりません」と。これは極めて重大な事柄です。神の言葉ですから、それによって審かれるものはすべての人々、すべての国民であり、自分がそれの例外をなすものではありません。人はこれを見て、あるいは自分を偽善者と言うかも知れません。けれども自分を審く力のないような言葉は、神の権威をもつ言葉ではありません。人間に、特に自分自身に、口触りのよい言葉が、神の言葉であり得るはずがありません。自分の宣べる言葉によって自分が傷つけられても、神の言葉ですから宣べなければなりません。それが神の言葉の権威を重んずるとうい事です。この神の言葉を、自分の名誉以上、自分の安全以上、自分の判断以上に重んずる人が預言者です。



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