私の父は今日もなお働いています。それだから私も働くのです。人生のはせば(ヨハネ 5:17)
戦争中世間から顧(かえり)みられなかった時が、私の最も幸福な時代でした。その頃私はいつでも自分の欲する時に多摩川に出て、心ゆくまで夕日をながめることが出来たし、イエスの足もとに坐ったベタニアのマリアの喜びに浸ることが出来ました。
今は寒さと電車の混雑と仕事の多忙とに取り組んで、読者の私信に対してゆっくり返事を書く暇もないのです。
大学の友人は日曜日を休み、伝道の友人は月曜日を休みます。しかし私には定休日がないのです。公の仕事があり、それに加えて兄弟姉妹のうれいが絶えません。「だれが弱って私は弱らなでしょうか」です。私は私に定められた人生の馳場(はせば)を早く終るよう願います。しかしパウロではありませんが、私のなお肉体にあって生きることがあなたたちのためになるというなら、いづれを選んでよいか私は知りません。