2 月 1 4 日
今、私たちはおぼろげにしか見ることができませんが、完きものが来る時には顔と顔を合わせるようにはっきり見るでしょう。私の知るところは今は一部分にすぎませんが、かの時には私が完全に知られているように完全に知るでしょう。

第一コリント 13:12

信仰の知識

 信仰の知識はだれにでもわかりますが、また同時に、一生かかってもだれにもわからないものです。自己の救いに関することは信じさえすればだれにでもすぐわかります。しかしその他のことは、長い信仰の生涯を送って行くうちに、聖霊の導きにより、自然にわかるともなくわかって行くものです。

 それゆえに、今私たちの明らかに知り得ない事柄があるとしても、そのために自ら思いわずらう必要はなく、また軽々しく人に質問すべきではありません。質問しても、それによって、わかるような事柄でないことが多いのです。例えば、キリストを宣べ伝えられないで死んだ私たちの先祖は、私たちと同じ天国に入るかどうか、聖書はこういう事柄については、答えていないのです。従って私たちがわかろうとして努力することは無理であり、それよりは私たち自身が天国に入ることが出来るよう、常に祈るべきです。私たち自身が天国に入って見れば、地上において私たちの解りたくて十分わからなかった知識や、願って十分かなわなかった希望が、満ち足りるまでに示され、与えられていることを見出すでしょう。



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