3 月 2 3 日
決して神を侮ってはいけません。人はまいたものを刈り取らなければなりません。肉にまいた人は肉から亡びを刈り取り、霊にまく人は霊から永遠の生命を収穫するからです。

ガラテヤ 6: 7-8

神の審きとあわれみ

 罪は霊(たましい)においては完全に赦されますが、肉にあるこの世の生活においては、罪の結果は後まで残ります。肉によってまいたものは、肉において刈り取らなければなりません。私たちはそこに神の義の正しさを認めざるを得ないのです。 ・・・ 

 神の審判は正しく、神の義は少しもごまかしがききません。しかし注意すべき事が二つあります。第一は、罪の行為の結果はこの世の生活にだけ残るのであり、罪を赦された霊(たましい)の自由は絶対的だと言うことです。私たちは自分の罪を告白する時、キリストによって神は全き赦しを与え、私たちの霊(たましい)は完全に自由となって、審判の恐怖から解放されます。すなわち私たちは永遠の生命をつぐべき平安を与えられるのです。従って肉に属ける生活に残る神の審判は地上限りのことであり、私たちの肉体がその勤めを終えて天に復活すると共に、罪の結果としての苦痛はもはやその跡形さえ留めなくなるでしょう。

 第二に、神は私たちの罪の量に比例して私たちを苦しめず、私たちの犯した罪の実績よりははるかに軽く私たちを審かれるのです。 ・・・ エホバの審判の軽んじてはいけません、そしてそれと同時に、エホバあわれみは測り知られません。いや、エホバのあわれみは常に審判に勝つのです。



上へ前へ次へ