3 月 2 6 日
主にあって、一日は千年に等しく、千年は一日のようです。

第二ペテロ 3: 8

一日と永遠

 イエスは「一日の苦労は一日で十分です」(マタイ 6:34)と言い、パウロは「私は日々死んでいます」(第一コリント 15:31)と言いました。私たちは毎日を最後と思い、いつ召されても悔いなき信仰生活を送らなければなりません。

 しかしこの事は決して私たちの生活に、あせりと不安をもち込むものではありません。私たちは永遠に生きる者として、常に余裕のある心をっもって過ごすことが出来ます。なぜなら私たちの一日は永遠の中にあり、また一日の中に永遠があるからです。

 永遠に生きる人の生涯は、おこたることなく、急ぐこともありません。勇敢に戦い、平安に休み、心配することなく、困ることもありません。夜には疲れても朝には力を新たにされ、土曜日には傷ついても日曜日にはよみがえります。ああ、なんと楽しいのでしょう、イエスを信じる人の生涯。それは永遠に生きる人の、とらわれることのない喜びと希望の生涯です。



上へ前へ次へ