天と地は亡びます。しかし私の言葉は亡びません。その日その時はだれも知りません。人も天使もそして子も知りません。ただ父だけが知っています。目を覚まして、祈っていなさい。その時が何時なのか、あなたたちは知らないからです。知らない事
神の子としてイエスが地上に生活しておられた間において「知りません」と言われたことは、私たちにとりまして解釈の困難を感ずるよりも、むしろなぐさめの言葉です。いったい子供の特色とは父の心を心とすることであり、父の知っていることを何でも知っているという知識の問題ではありません。それは信仰と愛の問題です。知識的に知らなくてもいいのです。イエス様は信仰的に最もよく父の心を知っていました。父なる神様の示されることをよく見ていました。マルコ13章11節でイエス様は言っています、「人々があなたたちを引き渡すとき、何を言おうかとあらかじめ思いわずらわってはいけません、ただそのとき授けられたことだけを言いなさい、これを言う人はあなたではなく聖霊です」(マルコ 13:11)。何を授けられるか今は知りませんが、授けられた時にはっきり聞き取って言えばいいのです。はっきり聞き取るには、神様の顔を仰いでいればいいのですから、「知りません」と率直に言われたことは、子としての性質にそむきません。そむかないばかりか、いっそうイエス様が神の子であることを私たちに認識させます。イエス様さえ知らないことがあるんですから、まして、私たちは知らないことがたくさんあります。