4 月 3 日
私のため、また福音のために家、兄弟姉妹、父母、子供あるいは土地を捨てた人は今の時に迫害とともにその百倍の家、兄弟姉妹、母、子供あるいは土地を受け、後の世では永遠の生命を受けるでしょう。

マルコ 10:29-30

百倍のたまもの

 ただ量的に百倍というだけではありません。質的にも百倍優れたものとして、家や兄弟姉妹などを受けるのです。それは「迫害とともに」受けるからです。迫害とともに受けるとは、火をもて塩つけられることです。塩をもって和らげられ、味つけられ、防腐(ぼうふ)されたものとしてこれらを受け取るのです。ああ迫害苦難の中に味わう信仰の兄弟姉妹の愛のいかに味善いことでしょうか! それはまことにキリストのため福音のために捨てた人だけの味わえる百倍のたまものです。

 家や富を捨てることから、キリスト教の歴史の中に多くの美しいことが起こってきましたが、一面にはいやな偽善(ぎぜん)も起きてきました。「貧」と結婚したと言われるアッシジのフランシスには胸のすくような清さがありますが、彼の亜流(ありゅう)である修道院(しゅうどういん)の中には、外観的には世をすてた形ですが、内はどん欲と淫欲(いんよく)とに満ちたもののあることは、周知の事実です。捨てることが偽善におちいらないためには、迫害の中において、捨てざるをえなくなった時に捨てることです。その時には自分の誇(ほこ)る余地がありませんから、神の恩恵を純粋に受けることができるのです。



上へ前へ次へ