4 月 6 日
神は彼らが自らの情欲にかられて互いにはずかしめ、汚すままに任せました。それは彼らが神の真理を変えて偽(いつわ)りとし、創造者の代わりに被造物を拝み、これに仕えたからです。

ローマ 1:24-25

偶像崇拝

 どうして偶像を崇拝すれば社会の風紀がみだれるのでしょうか。思いますに、偶像崇拝というものは、本来人の崇むべき神の栄光を措いて、本当のものでない偽物の神を拝む。そこに取り換えがあります。神をオモチャにしています。礼拝をゲーム化しています。そこには何ら真の愛はわいて来ません。性生活の乱れもそうです。男女各々の身体の正しい用を捨てて、自然に反した方法で情欲の満足を求めます。これは人間をオモチャにし、正当であるべき性生活をゲーム化しているものです。神に対する態度が倒錯(とうさく)すれば、人に対する態度もまた倒錯します。人をどのような目をもって見るかは、神をどのような目をもって見るかによって定まります。ローマほどでなくても、真の神を礼拝しない社会においては男女関係は必ずびん乱し、男女関係がびん乱して、社会の道徳は一般にすたれないわけがありません。偶像の宮に付属して、又はその付近で、いかにみだれた性生活が盛んに行われていることでしょうか。偶像の宮はこれを禁ぜず、かえってこれを公認し、守るものであることは、ローマばかりでなく各国であまねく見られるところであります。宗教を清めなくては、道徳は清まりません。



上へ前へ次へ