4 月 1 9 日
すべて罪を犯す人は罪の奴隷(どれい)です。奴隷はいつまでも家にいず、自由の子はいつまでも家にいます。だから人の子があなたたちに自由を得させる時、あなたたちは本当に自由となります。

ヨハネ 8:34-36

子としての自由

 神への従順はたとえ盲従(もうじゅう)であっても、人に自由を与え、またたとえ恐怖に基くものであっても、同じく人を自由とします。言いかえれば、神への従順は奴隷(どれい)的であっても、人に自由を与えます。しかしそれが奴隷的服従である限りにおいて、その自由の喜びは完全ではなく、自由喪失の危機が起こらないとは言えません。神に対し奴隷の関係でなく、子の関係に立つに及んで、始めて人の自由は完全となります。 ・・・ 神の子が、子としての自由を私たちに与えられるがゆえに、私たちは真に自由となります。それは、イエスが父より聞いたすべての事を私たちに知らせる事によって、私たちは神に対して奴隷的盲従ではなく、知識による自由な服従をなし得るからです。それゆえに私たちも常にイエスの言葉に留まるならば、言葉の真理は私たちに自由を得させ、私たちを罪の支配より解放し、潔さに至る実を結ばせるのです。



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