4 月 3 0 日
私はひとりで酒ぶねを踏みました。 もろもろの民の中に私と事を共にする人はいませんでした。

イザヤ 63: 3

私は一人で

 エホバはひとりで酒ぶねを踏み、イエスはひとりで十字架につきました。人生の最も大事な時は、だれの霊(たましい)でもただ一人になって、神にだけよりすがります。どんなに温かい家庭があっても、どんなに親しい友人があっても、だれもはいってくることのできない私の至聖所があります。私はそこで神とだけ交わり、神からだけ力を受けます。こうして神だけが私と共にいて下さるとき、私は一人でどのような酒ぶねをも踏むことができ、どのような十字架をも負うことができます。いや、何人も私の酒ぶねを共に踏むことはできず、私の十字架を共に負うことはできません。それは私一人でしなければならない事だからです。

 本当に孤独であるとき、人は本当に強くなります。それは、本当に純粋に神にだけよりたのむからです。そして人それぞれが自己の真の孤独に徹するとき、そこに一切の物欲と利害と打算と依頼心と期待心と、また期待にそわない場合の失望との除かれた純粋な霊(たましい)の触れ合い、すなわち完全な愛の交わりの基礎が見出されるのです。



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