4 月 2 9 日
キリストにあっては割礼も無割礼も共に取るに足りません。大切な事は愛によって働く信仰です。

ガラテヤ 5: 6

愛の行為

 キリトスの愛によって動かされる程度に従って自由に人を愛しなさい。打算的考量と分析的反省とは愛にふさわしくありません。愛が動けば行為になって現れます。愛が動かないのに無理に行為に現そうとすれば、形式となり偽善となって愛としての生命を失います。作為の愛よりも、偽(いつわ)らない正直を神は喜ばれます。

 キリストの律法である愛は自由に自然に行われることが特徴です。それは「こうべに注がれた高価な油が、ひげに流れ、衣のすそにまで流れるように、またヘルモンのつゆが降りてシオンの山に流れるように」(詩篇 133: 2,3)努めなくてもおのづから流れ出る愛です。「愛のおのづから起こる時まで、ことさらに呼び起こしたり、覚ましたりしないでください」(雅歌 8: 4)です。キリストを愛すれば、愛を行うことが自然に出来て来ます。キリストを愛することが深くなるに従い、人に対する愛も自然に深く広くなります。私たちは自分で愛を行おうと努力するのでなく、キリストとの結びつきをかたくすることに努力すればよいのです。これは間接的方法ですが、この間接的方法が私たちに愛の律法を守り行わせる唯一の正当な道です。



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