5 月 2 日
ヨハネはイエスを思い止まらせようと言いました、「私こそあなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが私の所に来るとはどういう事ですか」。イエスは答えまた、「今は受けさせてくださいい。それはすべて義しい事が私たちに成就するためです」。それでヨハネはイエスに洗礼を施しました。

マタイ 3:13-15

イエスの洗礼

 なぜイエスは洗礼を受けられたのでしょうか。自分自身の罪を感じたためでしょうか。自分の民族の罪を感じたからでしょうか。あるいは人類の罪を感じたからでしょうか。おそらくイエスは何もこんなに分析的に考えられずに洗礼を受けられたのでしょう。彼は決して自分一人を別人扱いにする自覚をもって洗礼を受けられたのではないでしょう。彼はただ人を救い、国を救う真の宗教とは悔い改めて心の向きを変えること、すなわち心のこと、精神のことであって形式のことではないと洗礼者ヨハネが言っているところ、それは真理だと感じて、ヨハネの洗礼を受けられました。すなわち身をもってヨハネの改革運動に賛成を表明されたのです。しかしイエスはいわゆる出藍(しゅつらん)の誉(ほま)れで、洗礼の霊的意味をヨハネ以上に明らかにされました。すなわちヨハネは水をもって洗礼を施しましたが、イエスは聖霊で洗礼を施されました。ヨハネは悔い改めすなわち心の向き直りということを表示するのに、なお水という形式を用いました。しかしイエスは何らの形式を用いず、直接聖霊による悔い改めのバプテスマを宣べ伝えたのであります。



上へ前へ次へ