5 月 4 日
「善き師よ、永遠の生命を得るために私は何をすべきでしょうか」。するとイエスは答えました、「なぜ私を善と呼ぶのですか、善なる方はただ一人神のみです。もし生命に入りたい思うのなら、いましめを守りなさい」。

マタイ 19:16-17

善き師

 教師中の教師は神御自身です。 ・・・ 

 神は世界と人生を教室とし、天然と歴史とを教材とし、聖書を教科書として、人を教えられます。神は夕日に輝く白雪の連峰を指して人に『荘厳(そうげん)』を教え、天に星座の掛図(かけず)をかけて『悠久(しゅうきゅう)』を教え、また国家興亡(こうぼう)の跡を歴史に示して『正義』を教えられます。そして世界と人生の現実に起こり来る諸般の出来事を通して、私たちが正しく判断し正しく行動した時には『よくやりました』と賞めて下さり、誤った時には『それはいけません』と言って罰して下さる。そして私たちに書を開かせて神の言葉を指し示し、ある時は親切に、ある時は厳しく、私たちの必要に応じて真理を教えられるのです。こうして私たちは日毎の経験を通して神の真理を学び、神の指導に信頼して人生を歩みます。ある時は険しい坂を登るでしょう。ある時は砂漠を引っ張って行かれる事もあるでしょう。しかし神が導かれるのですから、神の導きに信頼して、死のかげの谷をも怖れなく歩みます。神の導きに信頼して歩むことは、生徒が教師の後について遠足し、又は兵卒が指揮官の後に従って行軍するように、安らかで自由な服従の生涯なのです。



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