6 月 7 日
あなたたちの間で苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。

ヤコブ 5:13

余裕

 余裕のない生活はみじめです。経済的に余裕のない人、あるいは時間的に余裕のない人は、いつも追い回され、いつもせき立てられます。しかし一番みじめなのは心に余裕のない人です。どんなに貧しく、又はどんなに忙しくても、心に余裕のある人は幸福です。

 心の余裕は祈りによって与えられます。祈りは神とともにある時であり、神が共にいて下さる時です。それはどんなに短い時間でも、この世の仕事と生活の苦労とわずらいから離れて、神の事を考える時です。あるいは、私たちのこの世の苦労とわずらいの思いを、キリストに押し付けてしまう時と言ってもよいのです。その時がなければ、私たちはあまりの忙しさのために心がみだれ、頭が破裂してしまうのです。

 神が知っていて下さる。神が引き受けて下さる。神が良いようにしてくださる。信仰によらないで「どうにでもなりなさい」という時は、自暴自棄(じぼうじき)の絶望となりますが、信仰によって「どうでもなりなさい」という時は、神が私たちの心に平安と余裕を与えられます。「主よ、み心を成してください。み心の通りに私は従います」、と祈ることが、私たちの心の余裕となるのです。

 朝静かな時に、あるいは夜半目覚めた時に、私たちは心をこめて神に祈ります。あるいは仕事の最中に、あるいは電車の中ででも、ふと心を神にむけて祈る習慣を身につけた人は幸福です。



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