6 月 6 日
「私の教えは私自身の教えではなく、私を使わされた方の教えです。神の御意(みこころ)を行う人は、だれでも、私の語っている教えが神からものか、それとも、私自身から出たものか、解るでしょう。自分のことを語る人は、自分の栄光を求めますが、自分を使わされれた方の栄光を求める人は真実であり、その人の内に偽りがありません」。

ヨハネ 7:16-20

戦いの中で

 読者の皆さん、一言私のおろかを記する事をゆるしてください。私は『嘉信(かしん)』を出すことここに七年、私は自分の言葉を語らず神の言葉を語り、自分の名誉を求めず神の栄光を求めました。この間、ある人は私を悪人ではないと言い、ある人は国を呪う人と言いました。ある人は私を父のように慕(した)い、ある人は私に対する信頼が動揺したと言っています。ただその中にあり終始変わらないのは、パリサイ人らの『嘉信』に対する憎しみです。彼らは『嘉信』のはしばしをとらえて、これを怒り、これを禁じ、これを亡ぼそうとたくらみます。私はなぜ彼らがこのように『嘉信』を憎むのか、ほとんどその理由を理解できないのです。今はただこの小さい経験が、ヨハネ福音書第7章を講義するに当たり有益な事を神に感謝するばかりです。



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