6 月 1 2 日
私を死に至らせたのは罪です。罪はいましめによってそのはなはだしい悪性を現し、善なる律法を通して私を殺したのです。私たちは律法が聖なることを知っています。しかし、私は肉につける者で、罪の下に売られています。

ローマ 7:13-14

救いのダイナミックス

 人は自己の道徳的実践に行き詰まった結果、信仰によって義とされるとの道を啓示され、この信仰の結果として道徳的生活を一層純粋かつ強固に守って行きます。このところに一つの循環(じゅんかん)があります。ただしそれは同一平面における循環ではなく、より高い平面への飛躍(ひやく)を伴う循環、言わば、らせん形の上進です。飛躍は人の信仰生活のために絶対不可欠であり、循環は人の道徳生活のために絶対必要です。両者その一つを欠く時は、人の精神生活は死を免れないでしょう。もし人が道徳律の追求にあえぐのみで、信じる者は義とされるとの約束に身を投げかけないならば、その結果として到達する地点は死があるのみ、絶望があるのみです。ゆえに道徳律追求の線から約束を信じる線への転換が行われなければなりません。この線路の切り替えを行ってくれる転換手(ポイントマン)はイエス・キリストです。こうして人は霊によって新たに生まれ、神の約束を信じる信仰生活の線を進むのです。



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