6 月 1 4 日
たとえ私が自分の全財産を人に施しても、また、自分の体を焼かれるため渡しても、もし愛がなければ一切は無益です。

第一コリント 13: 3

愛を注ぐこと

 キリストの律法としての愛は形式でなく心であり、数量でなく品質です。何よりもその貧しい人を愛しあわれむ心が生きていなければなりません。その人に最も必要なものはお金ではなくて、霊(たましい)の愛です。お金は他の人からでももらえます。しかし霊(たましい)の愛はキリスト者からでなければ得られないのです。お金をやれなくても、愛をそそぐことは出来ます。お金をやろうとするなら、五円でも十円でもいや一円でもよいのです。愛がないのに与えるなら、財布のお金全部やっても、その人の益にも自分の益にもなりません。これに対し自由の愛から出た行為であれば、一円やっても、あるいは、ほほえみ一つでも、その人と自分との霊(たましい)を共にうるおします。すなわちそれが神に喜ばれた証拠です。



上へ前へ次へ