あなたは地の塩です。もし塩がその辛さを失ったら何の用があるでしょうか。もはや何の役にも立たず、ただ外に捨てられ人々にふみつけられるだけです。地の塩(マタイ 5:13)
塩が役に立っているときは、塩の形を失っています。融けてしまって、どこにあるかわかりません。自分の存在が無いようで、しかも有効なもの、他のものに融かされてしまって、しかも自分を融かすものを救うもの、これが塩の性質です。それはまさしく心貧しく柔和な人の姿ではないですか。世にあって無視され、迫害され、自分の権利、利益、いや生命さえも奪われ、しかもこれによって世の腐敗を防止し、和らぎを作る人、これがキリスト者の地上生活における地位であり、役割であり、存在理由です。
塩は塩からい味を保たなければなりません。味を失った塩は神の国にも、この世にも、いづれにも役立ちません。塩に酸を混ぜれば、塩が利かなくなります。信仰に不信仰を混ぜれば、それはもはや信仰ではありません。信仰は純粋でなければなりません。そして信仰の味は塩からいのです。天的には神の義によって塩付けられ、人間的には涙と汗とによって塩付けられた信仰にして、始めて純粋の信仰の味を保ち得るのです。なめて見て砂糖のように甘い信仰は偽りの信仰であると言って誤りではありません。