8 月 1 1 日
律法によっては罪の自覚が生じるだけです。

ローマ 3:20

罪の自覚

 罪の自覚はすべての人に普遍(ふへん)的であり、キリストの救いの現れる最も貴重な部面です。しかし罪の自覚の程度は人によって一様でなく、罪を自覚する仕方もまた人によって一様ではありません。罪の自覚を深くするための、意識的方法というものはないのです。修道院に入って苦行しても、図書館に入って神学書を研究しても、すべて人為的方法で信仰を増す事は出来ません。罪の自覚もまた神の与えるものですから、それが欲しければ、神を信じて静かに待つのが一番よいのです。罪の自覚が乏しいという事自体が罪の自覚であり、神がなければ生きて行けない、自己の自覚です。

 罪の自覚の深い浅いで、信仰の程度が測られるのではありません。神に信頼する信頼の深浅で、信仰は測られるのです。罪の自覚はその人の事情に応じて、必要な時に、最善の方法で、神がその人に与えるでしょう。その時まで、あせらないで、自由に、自然に、神を信じる生活を続ければよいのです。



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