汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水のない所をめぐりましたが、何も見つかりませんでした。そこで、汚れた霊は、元の家に戻って見ると、その家は掃き清めら飾られていてだれも住んで居ませんでした。そこで、汚れた霊は自分よりひどい他の七つの悪霊を連れてその家に入りました。その結果その人の状態は以前よりもさらに悪くなりました。邪悪(じゃあく)な今の時代もこのようになるでしょう。戦後の日本
戦後の日本の社会をたとえるのに、この聖句以上に適切なたとえはありません。戦後の民主化は、日本から一つのサタンを追い出し、座敷(ざしき)の掃除は出来、民主主義の飾り付けも出来ましたが、民主主義精神の中心である「人格」の神を迎えいれないまま、空き家になっています。一度出ていったはずの官僚主義(かんりょうしゅぎ)や神社崇拝(すうはい)や権力主義や唯物(ゆいぶつ)主義は、自分にまさる七つのサタンをつれて来て再びこの家に入り込み、自由、自由と叫んでいます。
邪曲なこの代は神の審判を免れないでしょう。預言者イザヤの声は再び国民の耳に鳴りとどろかざるを得ないでしょう(イザヤ 3章)。