8 月 3 0 日
もし私たちが気違いと言われるなら、それは神のためであり、厳しいと言われるのはあなたたちのためです。キリストの愛が強く迫って私たちにそうさせるのです。

第二コリント 5:13-14

絶対的な情熱と信仰

 世の人は、私たちがキリストを愛し慕(した)う絶対的な情熱と信仰を理解しません。それは彼らがキリストに愛された経験をもたないからです。キリストとの交際の味を知らないからです。

 私たちは諸宗教を比較研究した上で、キリスト教を比較的にまさっているとしてこれを信じるのではありません。キリストを信じてその愛に圧倒され、比較を絶した、かけがえのない唯一絶対の救い主としてこれを愛し、その愛を世にむかって証するのです。

 世の人はよく、「わけ登るふもとの道は多くても、同じ高山の月を見るようなものです」、という古歌を借りて、どの宗教でも同じところに到達し、等しい価値を持つといいます。しかし私たちはキリストについてそのような取りすました態度に出る事は出来ません。私たちにとってはキリストの救いだけが絶対的であり、唯一の真理です。それが私たちの生命なのです。

 世の人は批評して言います、それは主観的であり、一人よがりであると。私たちは答えて言います、キリストの恩恵と真理の美しさ、すなわちキリストの救いの事実と効果は、私たち自身が生命をかけて経験したところの経験的事実であり、また公然世にあらわされた客観的事実であると。



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