9 月 2 日
主はモーセをベテペロの向こうのモアブの谷にほうむりました。しかし今日まで誰一人としてその墓を知る人はいません。

申命記 34: 6

富士登山

 私も第一高等学校を出て大学に入る間の夏休みに、一人で富士山に登りました。二十歳でした。それから今にいたるまでの失策多く、悔い多く、知ると知らないとによらず多くの人をつまずかせた、四十五年の私の身の生涯を悲しく思いました。

 私もまたモーセのように大きい谷のどこかに人に知られずほうむられて、「今日までその墓を知る人はありません」と記されたいと思いました。 ・・・ 

 私がこの世を去る時、神から使わされたミカエル・ガブリエル・ウリエル、その他名を知らない天使が四、五名私の前後をかこんで神の山を登るでしょう。彼らは私に好意をもって、私を守ってくれている事は明らかですが、しかし私は自分の足を自分で運ばなければならないでしょう。

 この世において私の周囲にあった人は、その時誰も私のそばにいないでしょう。私を責め、批評し、悪口を言う声は、私の耳に届かないでしょう。私を敬慕(けいぼ)し私の耳に甘い声も、私のそばにないでしょう。私は裸で母の胎(たい)を出たように、裸で母のふところに帰って行くのです。私は孤独を感じました。孤独はきびしいですが、また安らぎであると感じました。



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