「私のとがをあなたに言い表します」と、告白した時、あなたは私の罪を赦されました。それゆえ、すべて敬虔(けいけん)な人はあなたに祈ります。洪水のように押し寄せる悩みの時、あなたは私の避け所です。あなたは私を守って、悩みから救い上げられます。応用の失敗
よく教えられている信仰生活の原理を実際問題に応用する時、私たちは時に成功し、時に失敗します。自分の力でなく、聖霊の助けによって正しく実際問題が処置出来たとき、私たちの口から神に対する賛美があがり、私たちの信仰は実験を経て一段と明確になります。
しかしまた、私たちの知恵が足らず、勇気が足らず、信仰が足らないため、みじめな失敗をなめる事もあります。その時、私たちの霊(たましい)はうなだれて、神の前にはげしいしゅう恥の感に打たれます。しかし私たちの神の前に恥じて、私たちの罪を言いあらわし、神の赦しを切に願うとき、意外にも神はそのあわれみを私たちに豊かにそそぎ、私たちを神のふところに抱き上げ、神の深い愛を私たちに示されるのです。例えば詩篇第30篇を見なさい、詩篇第52篇を見なさい、私たちの失敗はしばしば私たちの成功よりも一層近く私たちを神に近付けるのです。私たちは実際問題の処理の失敗を恐れる事はありあません。神に対する信頼の欠乏こそ、私たちは常に恐れなければならないのです。