9 月 2 0 日
私の血を飲む人は永遠の生命の中に在り、私はその人を終りの日によみがえらせるでしょう。 ・・・ 私の肉を食べ私の血を飲む人は私に在り、私もまたその人にいます。

ヨハネ 6:54-56

生命の循環(じゅんかん)

 イエスの愛を受けることによって私たちは兄弟姉妹を愛することが出来、兄弟姉妹を愛することによってイエスの愛にいることが出来ます。これは死んだ循環論法でしょうか。いや、決してそうではありません。循環であっても、これは生命の循環です。イエスから愛されるのでなければ、私たちは利己心なき純粋な心で自分の妻子さえ愛することは出来ません。しかし愛は実行であって観念ではありませんから、イエスより受けた愛を以て自ら兄弟姉妹を愛することによってのみ、私たちの愛はたまり水とならず、またイエスから新鮮な愛を受けることが出来ます。こうしてイエスの愛は私たちの中に流通し、私たちの愛はイエスに還流(かんりゅう)します。すなわち私たちはイエス愛にいることが出来、その一循環毎に私たちの愛は深められてゆくのです。そうしない時私たちの愛は、たとえば静脈血が心臓に還流しない場合のように、汚れてかえって身体に害を及ぼします。血は心臓に回流してこそ、私たちは血すなわち生命にいることが出来るのです。 ・・・ このように、愛を実行する人のみが、愛の中にいる事が出来るのです。イエス御自身でさえ父の愛に留まるためには、従順に父の戒(いまし)めを守られたのであり、そしてその父の戒めとは、全心全霊全力をつくして主なる唯一の神を愛する事と、自分のようにとなり人を愛する事に外ならなかったのです。



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