1 0 月 2 日
ああ主よ、あなたが私をだまされたので、私はみじめです。あなたは私よりも強く、私を支配しています。私は毎日破れ、みんなが私をあざけります。あなたが語りなさい、叫びなさい、と言われるので、私は暴力と破壊を預言しました。主の言葉は私のはずかしめとなり、毎日私を傷つけます。それで私は言いました、「私はもはや主の言葉を語らない、主の名によって何も預言しない」と。しかしあなたの言葉は私の心の中で骨を燃やす火のようではないですか。私はそれを耐えるのに疲れ、黙っていることができません。 ・・・ 私の生まれた日は呪われなさい。母が私を生んだ日はわざわいです。 ・・・ なにゆえ私は胎内を出て来て、苦しみと悩みを負わされ、はずかしめを受けて一生を過ごさなければならないのですか。

(エレミヤ 20: 7, 8, 14, 18)

エレミヤよ

 エレミヤよ、あなたを思うは私に霊感です。あなたの悲哀は万人の悲哀に勝ります。それはあなたの真実が万人の真実にまさったからです。あなたは秋天の星のごとくすみます。あなたを仰いで私たちは世と私たちとの偽善を知ります。

 エレミヤよ、あなたのごとき生涯が世にあったとは!あなたの苦労に比べれば私たちの苦労はママゴトであり、あなたの信仰に比べれば私たちの信仰は妥協です。あなたは秋の野のリンドウのごとくすみます。エレミヤよ、私たちを深くまた強くしてください。



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