1 0 月 7 日
私はあなたの法則をたずね、あなたの道を思います。私はあなたの定めを喜び、あなたの言葉をかてとします。

(詩篇 119:15-16)

読書

 真理探究の精神に直接触れるためには、古典を読むべきです。長い年代を経、その間歴史の変遷(へんせん)と学説の進歩があったにもかかわらず、なお生命を持続している偉大な書物は、個々の事柄についての知識としてよりも、むしろ真理探究の精神そのもののゆえに価値をもっています。こうした古典を繰り返して読むことは、私たちの学問のいかに楽しいか、また同時にいかに困難であるかを知らせ、真理の前に立つ人に謙そんと勇気を示します。古典を机の上にひもとく時、私たちはユングフラウの高峰を前にして立ったアルピニストのごとくです。この厳粛(げんしゅく)な快感において、読書の益はきわまるのです。

 そこにならぶユングフラウ、マッターホルンの峰々。聖書あり、プラトンあり、アウグスチヌスあり、私たちは書斎(しょさい)のたなにならぶ古今東西の古典をながめて、この世の俗事を忘れて真理の国に遊びます。古典によって霊感された真理探究の精神を私たち自身に振るい起こして、困難な学問の研究に従事し、無知の事実を知識の領域に引き出し、それによって人間の完成、人類の幸福、世界の平和に貢献(こうけん)するのです。これが学問と教養に従う読書人の理想でなければなりません。



上へ前へ次へ