1 0 月 1 7 日
あなたたちの会った試練の中に人の常でないものはありません。神は真実です。あなたたちに耐えられない様な試練は会わせないばかりか、同時に試練に耐えられるよう逃れ道も備えて下さるのです。

(第一コリント 10:13)

信仰の活路

 「私たちはあらゆる方面から患難(かんなん)を受けても困りません、すべての方法がつきても希望を失いません」(第二コリント 4: 8)とパウロは言いましたが、八方ふさがりの危機に立っても、信仰によって静かにしていれば、私たちはそこに逃れる事の出来る細い道が開かれていることを発見します。境遇(きょうぐう)に捕らわれて、これに執着し、あるいはあわてて騒ぐので、神がそこに開かれている道を気付くことが出来ないのです。神は私たちにいかなる苦難を与えても、必ずそれに添えて逃れるべき道を備えています。絶対絶命の危機と言うものは、信仰ある人には存在しないのです。「あなたちは立ち帰って静かにしていれば救われ、平穏にして依りたのんでいれば力を得ます」(イザヤ 30:15)であり、信仰によって静かにしていれば必ず救いの道は示されます。こうして発見する私たちの突入路は往々にして自分の十字架を負う狭い道でしょう。この際必要なものはただ突入の勇気のみです。信仰の勇気をふるってその細い道に突入する人は、指導者とされます。道は神が備えられています。ただこれに気付き、これに突入するためには、私たちに信仰の明智と勇気を必要とするのです。



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