1 0 月 2 2 日
私が宣べ伝えている福音は人によるものではありません。私はそれを人間から受けたのでも、教えられたのでもなく、ただ一人の時イエスキリストの啓示によって受けたのです。

(ガラテヤ 1:11-12)

孤独(こどく)の完全

 人が神に在る限りは、たとえ部分的であるにしても、ある程度であるにしても人は自分自身のうちに完全性をもっています。すなわち他の人に依存しなくても神に依存する限りにおいて人は自己完全です。そこに人は孤独において完全であり得るという意味があります。人間は社会的存在(Social Being)であるということもよく言われますが、しかし人間は社会的な人との交わりに自分の存在を見出すのではなく、神との交わりにおいて存在を見出すのです。人は社会というものでなくて神に存在を負っています。従って自己の完全性を社会から求めず、神から求めなければなりません。人間は社会的であると共に孤独です。その人間の孤独は人間の不完全を示すものかというと必ずしもそうではありません。人間は孤独において完全であり、むしろ社会的存在において不完全なのです。神を離れて人と交わる時に人間は不完全さをもつのです。むしろ神とだけ交わるところにおいて人は完全性をもっています。ただ人は神のごとく自らにおいて完全でありえませんから、その完全が部分的です。しかし人の孤独には確かに神の生命によって生きるという、そういう完全性が部分的ではありますが存在しているのです。



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