1 0 月 2 9 日
私たち強い人はそうでない人の弱さを担うべきです。自分だけを満足させてはなりません。私たちは各々となり人の信仰を高め、その喜びを得させるよう努めるべきです。 ・・・ 聖書の与える忍耐となぐさめによって彼らに希望を与えてください。

(ローマ 15: 1-4)

無教会の伝道

 無教会の伝道は聖書を学ぶことです。聖書の教えを学び、それに基づいて物事を考えることを教えます。これによって真に各人は確固とした信仰をもつ独立人として、力ある生活をすることが出来ます。聖書を学ばないで個人の救いを考える時は、体裁(ていさい)のよい利己主義に終わります。 ・・・ 聖書を学んで神の御意(みこころ)に従うことを第一としなさい。これが私たちの生活力の振るいおこされる原動力です。

 無教会の教師は単独で自己の責任をもって立ちます。世にはこれを独善(どくぜん)主義の言葉をもって評する人があります。しかしながら個人が責任を取らないところに、何の真に善い事が出来るでしょうか。教会の無力は、他人と共でなければ何事もしようとせず、単独に責任を取って立つ人がないからではありませんか。私たちは神のしもべであり、常に神に対して責任を取ります。そして神に責任を取る者として、人々に対するのです。私たちは神の言葉を真剣に受け止め、自らその足らない事を恐れるのみです。



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