そして人々はイエスの教えに驚きました。学者のごとくではなく、権威ある人のごとくに語ったからです。「のみ」の力(マルコ 1:22)
ルターが、人の義とされるのは信仰「のみ」によると聖書を訳した時、カトリックは怒って「のみ」という語は原文にはありません、ルターは誤訳です、神に義とされるためには信仰の外に愛が必要ですと言いました。日本を復興(ふっこう)するものはキリスト教「のみ」ですと私が言った時、多くの人が怒って、仏教もあります、仏教を研究しなさいと抗議して来ました。学者のごとく語る人は、すべての思想に対して一見公平なような口のきき方をしますから、だれもこれに対して怒りません。これに対して、権威をもつ人は自分の確信を語りますから、きっぱり「のみ」と言います。それは人を怒らせますが、また人を救います。人を救うものは研究でなくて信仰です。