ノア、アブラハム、ヤコブ、これらの人はみな、信仰をいだいて死にました。旧約の人物
ノアは酒に酔って醜態(しゅうたい)を現し、アブラハムは妻を妹であると偽り、ヤコブは盲目の父をあざむいて兄の受けるべき祝福を横取りしました。このような人物が聖書の伝える信仰の偉人であるとは、一見受け取りがたいことのように思われるでしょう。しかし彼らはすべて神を信じ、神によりたのむ人でありました。自分の性格上の弱点や、悪い思いや行為について嘆き悲しむ人であったからこそ、彼らは一層神によりたのまないでは生きて行けなかったのでしょう。彼らが神に義人であると認められたのは、彼らの信仰であり、性質や行為ではありません。新約の福音の光によって旧約を読むのでなければ、私たちはそこにつまづきの原因を多く見出すのみであり、その真の価値を解することが出来ないでしょう。