1 1 月 2 9 日
私たちはバプテスマによってキリストと共にほうむられ、その死に合わされたのです。それはキリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえったように、私たちもまた、新しい生命に生きるためです。もし私たちが彼に結び付いてその死に等しくされるなら、復活においても等しくされるでしょう。

ローマ 6: 4-5

古い自分に死ぬ

 バプテスマはいったん水に沈み、またそれから上ることです。水に沈むのは古い自分に死ぬこと、水より上がるのは新しい自分に生きることの象徴(しょうちょう)です。言いかえれば、世に死んで神に生きることを象徴する行為がバプテスマです。したがって私たちが世に死んで神に生きる事を、象徴としてでなく実際の事実によって経験するならば、それが最も深い意味での真のバプテスマなのです。古い自分に死ぬという事は、自分の決心ぐらいではなかなか出来るものではありません。神が私を捉えて苦難の中に投げ込んで下さることによって、私たちはいやおうなしに古い自分に死ぬのです。それは苦しいです。しかし従順に神の処置に自分の身を委ねていれば、定められた時に及んで神は私を苦難の中から引きだされます。見なさい、その時私は新しい人となり、「あなたは私の愛する子です」との神の声を聞き得るのです。



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