1 2 月 9 日
神は奥義をあらかじめ定めた計画に従って、私たちに示されました。それは神が時満ちるに及んで実現される預定で、天地万物をキリストによって一つのものとする事です。キリストにあって私たちは、全てを預定される方の目的の下であらかじめ神の民に定められたのです。

エペソ 1: 9-11

預定の目的

 神の経綸(けいりん)の主な目的は神の国のエクレシアの完成であり、個人の救いではありません。 ・・・ 「神の国が完成するためなら自分は呪われて捨てられても構いません」(ローマ 9: 3)という愛国心が、預定の信仰の真ずいです。 ・・・ 個人の救いは信仰の初歩であり、預定の信仰に至って始めて堅き食物と言われ得るのです。神の経綸の目的は公的です。すなわち神の国であるエクレシアを完成して、神の栄光を賛美するためです。神はその目的のために個人を選び、召し、受け入れ、任務を与えられます。自己の自由意志をもってこれに応じる個人は神の経綸(けいりん)の一部を担当する者とされ、そうしない人は神の国より拒否されます。ここに預定論の恩恵と厳粛(げんしゅく)とがあります。これは畏(かしこ)んでも怖れてはいけない、親しんでも慣れてはいけない信仰です。 ・・・ 神の国の完成による神の栄光の発揚を信仰の目標とし、着眼点とするとき、預定論は始めて完きアーメンをもって肯定されるのです。そしてそれが同時に個人の信仰生活をも最も確実な基礎の上に安定させ、一切の主観的動揺や境遇の変化によって害われない永遠不動の信仰をもたらすのです。



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