クリスマスの発達
今日はクリスマス集会です。私たちはここにイエス・キリストの誕生を祝うために集まりました。キリストがこの世に現れることによって私たちの罪はあがなわれ、私たちは信仰によって救われる道が開かれました。この救い主に対する感謝と喜びをとりわけ表すときがクリスマスです。
しかし、ここに不思議なことがあります。聖書を読んでいますと、イエスの12弟子やパウロがキリストの誕生日を祝ったとはどこにも出てこないのです。しかもイエスの伝記である四つの福音書のうち、マルコによる福音書とヨハネによる福音書はイエスの誕生日の記事を伝えていません。マタイによる福音書やルカによる福音書でも1章の半分だけです。これはどの福音書もその3分の1以上に当たる6章から9章をさいてイエスの十字架の死と復活の一週間の言動を詳しく伝えているのと著しい対照をなしています。初代のキリスト信徒はイエスの誕生日よりも死と復活の日をはるかに重んじたことが解ります。
もちろん私たちもイエスの誕生において実はキリストの十字架と復活によって成し遂げられた救い主の業を記念し、その愛と恩恵に感謝し喜びを表しているのです。しかしなぜ救い主をその死と復活の日よりも誕生の日においてとりわけ記念するのでしょうか。それは一つのナゾです。私に明解な答えはありません。しかしこのナゾに自分の出来る限りで答えを見出したい、真理をつかみたい、というのが今日の話の試みです。
このナゾを解く第一の手がかりは誕生日が12月25日になっていることです。実はイエスが12月25日に生まれたとは聖書のどこにも書かれていません。それ以外の史料によってもイエスが12月25日に生まれたという証拠は見つけられていません。かえって聖書をよく読んでみるとイエスが生まれた日は冬でなく春ではないだろうかという疑いがわきます。その根拠はイエスの誕生を祝った羊飼いが野宿をしてヒツジの放牧の番をしていたと言う記事です(ルカ 2: 8 )。ベツレヘム近辺でヒツジを放牧するのは草が育っている春先で、冬は放牧しないと言われています。さらにベツレヘム近辺は半乾燥地帯ですから冬の夜は冷えます。冬に野宿をしたり馬小屋で子供を産むには寒すぎるという生理的困難があります。
イエスは冬でなく春に生まれたとする説が本当なら、ナゾはいっそう深まるよう見えます。つまり「なぜキリストの十字架の死と復活の業を誕生日において記念するのか」というナゾに加えて、「なぜ誕生日でない日に誕生を祝うのか」と言う、もう一つのナゾが加わるからです。
そこで答えを試みる前に、まずクリスマスと新年の関係について考えて見たいと思います。クリスマスと新年には一週間のあいだがありますが、なぜ新年が冬至の一週間後になったのか、これもまたナゾです。西洋のこよみが入ってくる以前、日本は中国のこよみによって、西暦の2月ごろ新年を迎えていました(中国人は今でも新年を2月に祝います)。春のきざしが感じられるので「迎春」と東洋人は新年のことを呼びました。人は新年に新しい人生と希望を託します。古い年に死んで新しい年に生まれ変わった人生を願望します。
新しい人生に古い負債を引きずらないように年末は借金の清算にせわしく走り回ります。(これが12月を「師走」という由来です。)罪の清算も必要です。仏教的日本人は一年の最後の時に除夜の鐘によって過去一年間のすべての罪が清算されることを願います。罪観念が発育していない神道的日本人は「大掃除」や「忘年会」によって過去一年間の「汚れ」を水に流します。年末に罪を清算するという観念は日本人に限りません。ユダヤ人は「罪のあがないの日」(ヨム・キップール)を通して新年を迎えます。このように見てくると年末のクリスマスには罪の清算願望が込められているように思います。私たちがクリスマスを祝うのはキリストによって罪をあがなわれたからです。私たちのくり返す罪を7度を70倍するまで無限に赦すキリストの愛を思い起こし、あふれる感謝を言い表すときがクリスマスだからです。
だからクリスマス年末は喜びの時です。罪の赦しの愛に賛美の声をあげるときです。「喜びの歌」を合唱するときです。今、なぜかベートーベンの第九交響曲「合唱」が日本の津々浦々で年末を迎える歌となっています。日本人は無意識にベートーベンの「歓喜の歌」を合唱していますが、この意味が「罪赦された者の喜びの歌」であることを知りかつ感謝して賛美するならば、これは世界史に貢献することの出来る日本の文化産物となるでしょう。平和憲法と共に日本の誇りとなるでしょう。
次に、クリスマスの歴史を振り返ってみたいと思います。クリスマスが12月25日に祝われた最古の記録は336年のローマにおいてです。当時はローマ帝国がキリスト教を国教として受け入れ、ローマ・カトリックの基礎がほぼ出来上がったときでした。しかし、カトリック教会内でキリストの誕生日を祝う習慣はまだ始まったばかりです。200年代の教会指導者オリゲインはキリストの誕生日を祝うのに反対していました。しかし、一般大衆はキリストの死を祝うという気持ちにはなれず、キリストの誕生を祝う志向が次第に強くなっていったのでしょう。一方、シリア教会は1月6日をキリストの誕生日と定めていました。他に初期キリスト教では3月にイエスの誕生を祝ったところもあるようです。
なぜキリストの誕生日が12月25日になったかというと、それは冬至、つまり一年で最も夜の長い日に関係するというのが、有力な説です。ローマ帝国がキリスト教を受け入れる前、ローマ人やヨーロッパ人は冬至ごろに収穫の神と光の神の祭りを行っていました。収穫の神は農耕民族が最も重要とする神であり、その祭りは一番のイベント(行事)です。日本でも収穫の神が最も重要視され、晩秋や初冬に収穫の祭りを神社で行いますが、ヨーロッパではそれが12月25日頃つまり冬至に行われていたのです。それはおそらく光の神と一緒に祝うようになったからでしょう。ヨーロッパの中心となったゲルマン民族は北方のバルト・スカンジナビア(現在のスウェーデン、デンマーク近辺)起源の民族です。北方ヨーロッパは夏の白夜(一日中昼で夜がない)の国で知られていますが、裏返せば、冬はほとんど昼のない夜の生活を過ごさなければなりません。この民が再び昼が長くなりますようにとの願望をこめて、光の神を最も夜の長い日に祭るのは理解できることです。
この収穫と光の神を祭るヨーロッパ民族最大のイベントをキリスト誕生の祭り、つまりクリスマスとして、その意味転換を計ったのがカトリック教会です。異教徒に宣教する際にその民の伝統や習慣を受け入れながら、そこに新しい宗教的意味を与えることはよく行われる伝道の方法です。
この冬至の祭りの意味転換には長い年月を必要としました。人々が昔の祭りの意味を忘れて、新しい意味に慣れることが必要となるからです。それが達成されたのは1100年頃です。このころまでにクリスマスはヨーロッパ・カトリックの最大の祭りとしてその地位を確立するに至りました。
しかし名前はキリスト誕生祭でも、その内実は昔の異教徒時代の祭りそのままでありました。つまりキリスト教倫理に反する酔い、騒ぎ、かけごと、みだらな行為が祭りの時に平気で行われていたのです。今日の日本でも祭りと言えば非倫理的な行為がなされる機会となっていますし、南アメリカではカーニバルといって祭りには乱痴気騒ぎが付きものです。
ですから1600年になって宗教改革が起きますと、キリストの教えに忠実に生きようとするプロテスタントの人々、とりわけ清教徒(ピューリタン)といわれ聖書による清い生活を求めた人々はクリスマスの非倫理的習慣に反対し、これを異教の祭りとして拒否し、祝わなくなりました。今日でもセブンスデー・アドベンチストやエホバの証人は異教の祭りだからと言ってクリスマスを祝いません。
こうしてピューリタンは悪い伝統慣習としてのクリスマスをこわしましたが、その一方で新しいクリスマスをつくりました。ホーム・クリスマスの創造です。それまでの地域社会や教会の祭りとしてのクリスマスを廃して、かわって各ホーム(家庭)が祝うクリスマスを発達させました。
「ホームの精神」を最初に育て上げたのはピューリタン、とりわけクウェーカーの人々であると私は理解しています。東洋や中世以前のヨーロッパに「ホーム」の精神は育っていませんでした。ホームは単に同じ「家」に住む経済共同体ではありません。また「血肉」につながった者同士の氏族共同体でもありません。ホームには日本的観念の「家庭」や「家族」では訳しきれないもっと大切な意味がこめられています。それは「人格の尊重に基づく愛と信頼」です。子供の人格を尊重しないところにホームは存在しません。子供をほったらかしたり、甘やかすところにもホームは存在しません。子供を愛する人は子供を叱ります、しかし決して子供の人格を踏みにじるような強制はしません。子供の人格がダメになってしまわないように、心を尽くして教育し訓練します。「愛と信頼の親子共同体」、「愛し信じあう親子の交わりの場」がホームの精神です。クウェーカーであったウィリアム・ペン(1644-1718)の「妻と子たちへの手紙」は「ホームの精神」を史上初めて表現した貴重な手紙です。それからローラ・インガルス(1867-1957)の「大草原の小さな家」がホームの精神を典型的に直接的に教えます。
ホームの成立によってクリスマスの何が変わったかと言いますと、まず互いの愛の交わりを深める、クリスマス・ギフト、クリスマス・カードの普及です。そして家族すべてが参加できる合唱賛美、クリスマス・キャロルの展開です。中世以前はグレゴリオ聖歌に代表される男性声楽はありましたが、男女子供も参加できるような合唱聖歌はありませんでした。合唱は近代ハーモニー音楽の成立を前提としますから、その道を開いたバッハの平均律以前に合唱賛美歌が発達することはありませんでした。最も有名なクリスマス・キャロル、「きよしこの夜」(賛美歌109番)は1818年、「もろびとこぞりて」(賛美歌112番)は1836年の成立です。
しかし、ホーム・クリスマスの中心は何と言っても子供です。子供のためのクリスマス、あるいは大人が子供の心に帰るとき、これが近代のクリスマスです。ここにサンタ・クロースが1800年代のアメリカに誕生します。サンタクロースはトナカイに乗って来ることからスカンジナビアが誕生の地と思われがちですが、真相はホームの精神が最も育ったアメリカ合衆国においてです。サンタ・クロース(Santa Claus)は聖ニコラウス(Saint Nicolus)のアメリカなまりと言われています。紀元300年ごろ小アジア(現在のトルコ)に育ったニコラウスが貧しい人の家庭に贈り物をしたことがサンタクロースのプレゼントの起源です。そこにスカンジナビアでトナカイに乗って子供にプレゼントを贈る老人が重ね合わされたのでしょう。子供を愛し、子供の喜びと驚きと想像力(ファンタジー)を大切にする目的からサンタクロース伝説が育ち、今日まで受け継がれているのです。
こうして近代西洋のホームで育ったクリスマスの恩恵に私たち日本人もあずかることが出来るようになりました。西洋文明が入ってくる以前、日本にクリスマスどころか誕生日を祝う習慣もありませんでした。イエスの誕生日を祝うことが、やがて子の誕生日そして家族の誕生日を祝うことに拡がり、誕生日は「ホーム」の一大特長となりました。誕生日は自分が生まれてきた意味とその存在の価値を思い起こすときです。私たちは愛する人の誕生日を祝うことによってその人のかけがいのない存在を確かめ、その人との深い人格的交わりに入ることが出来るのです。
今日はクリスマスのナゾについて考えてきました。答えをまとめますと、次のようになります。(1)なぜキリストの復活日よりも誕生日を祝うかと言えば、キリストの誕生日が人生の意味と目的を思い起こさせ、この世に生きる使命と力を与える日だからです。一方復活日はこの世の戦いを終えて神の国を迎える日に祝うのがふさわしいです。(2)なぜキリストの誕生を12月25日に祝うかと言えば、暗黒と罪の人間を自らの死をもってあがなったキリストの業を祝うのにふさわしい時だからです。12月25日は最も暗黒の長い冬至と罪の清算を要求する年末に当たります。光と聖の希望を与え、その生まれ変わりに歩ませるのはキリストの罪のあがないの力です。このキリストの業に感謝し賛美を上げるのに12月25日はふさわしい日です。クリスマスはホームのために、とりわけ子供のために発達してきました。救い主を祝うのに最も相応しい業は子供を愛することだと思います。
1999/12/19 講述
1999/12/21 公開