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A. 訳者のはしがき

このページは一人のキリスト者ウイリアム・ペンが書いた「妻と子たちへの手紙」(1682年)と「子たちへのアドバイスの書」(1699年)のほん訳です。約300年の年月を経ているにもかかわらず、ペンの言葉は今日の信仰者に新鮮です。2000年前の新約聖書、3000年前の旧約聖書が永遠の生命を持って信仰者を養うのと同じ霊感の働きを見ます。

「妻と子たちへの手紙」は、1682年、信仰と良心の自由の国を建設するため開拓地アメリカのペンシルバニアに船立ちするに当たって、遺言として残した、愛と教訓の手紙です。宗教史上、この手紙は重要な意味を持っています。ここに初めて、夫婦の愛が積極的な宗教的意味をもって実践されています。カトリックにおいては独身の祭司と修道者が重んじられ、結婚生活は宗教倫理的に一段低く扱われてきました。ルターやカルビンの初期プロテスタントは独身祭司と修道院を廃止して世俗の生活に宗教的意味を与えたものの、結婚は生活の便宜と子供を産むための手段という消極的な意味にとどまっていました。歴史上初めて結婚に積極的な宗教的意味を与えたのはペンを始めとするクエーカーの人々である、とマックス・ウエーバーは言っています。愛が信仰生活の中心となり、夫婦の愛、家庭の愛は神の愛を学ぶための実践的方法として宗教的意味を与えられました。この信仰的結婚倫理の道を切り開いたクエーカーに感しゃしたいと思います。信仰によって愛が育だち、愛の実践によって信仰が成長する、という信仰と愛のハーモニーをここに見ることができます。夫婦の間の人格的愛の実践によって人は神の人格的愛を知り、神の絶対の愛に支えられて夫婦の間の人格的愛は成長すると言うのは、結婚生活の実践的事実です。

次に、「子たちへのアドバイスの書」は、1699年再びペンシルバニア州に船立ちするに当たって、イギリス本土に残す子にキリストの信仰と教育によって育ってほしいとの願いから残した、永遠の愛の香りのする教訓の書です。この書は旧約聖書のしん言にまさる体系的で具体的な教訓で、ここには聖霊があふれています。この書に子供の教育に対するクエーカー・ピューリタンの基本精神が横たわっています。クエーカー・ピューリタンの精神は子供の教育にきびしいと同時に子供の心と権利を尊重します。神から管理の責任を預かった父母として、子供のわがままを許さず、しかし子供の弱さを支え、子供のために何が本当に良いことなのかを信仰と聖霊によって示しています。子供の人権と良心の自由に対する大人の権威の制約は、霊的なピューリタンの精神であり信仰です。子供の人格を尊重する態度は、子供といえども他人がその中に立ち入れない霊的存在あるとの信仰によって成り立っています。そして、この人権と良心の自由に対する信仰はペンを始めとする霊的なピューリタン、とりわけクエーカーとバプテストの人達によって成長し、近代憲法の誕生を基礎づけました。

子供の心は感受性が豊かです。その感性の新鮮さと深さにウイリアム・ペンは動かされました。同じクエーカー・キリスト者で詩人のウィッター、ジョン、グリーンリーフ(Whittier, John Greenleaf)は「子供は大人の教師である」といっています。しかし子供は弱い存在です。子供は育てる者の愛、保護、そして訓練を必要とします。愛は純粋を必要とします。子供に対する愛に親や教育者の利害が入るとその純粋さが失われ、子供の心は傷つきます。純粋な愛とは相手を便宜や利害の手段として利用しないことです。愛するとは相手それ自身を目的として己をささげることです。そして子供は大人の献身的な無私の愛を必要とします。しかし、子供を育てる者が痛切に感ずることは、自分には愛が無いという事実です。育てる者の自己中心の態度に子供が傷ついたときは、一人静かに神に赦しを求めてください。多く赦された者が多く愛することができます。人は無力にもかかわらず、愛さなければなりません。愛は単なる感情ではなく、意志と実践としての信仰の表現です。こうして、愛は戒め、訓練を通し信仰によって育ちます。

霊は風のように自由です(ヨハネ3:8)。以下の教訓を文字通り実践する以上に行間に横たわっている精神を読み取ってください。霊は生かし、文字は殺します(2コリント3:6)。何が一番大切で、何がその次に来るものかを見分けてください。すべてのことを愛によって行ってください。愛によるのでなければ何の益ももたらしません(1コリント13:3)。

(1996年7月、あぶくま守行)



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