伝道の始め
マルコ 1:14-45
14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言いました、
ユダの荒野での試みの後、イエスはガリラヤに帰りましたが、すぐには伝道を始めませんでした。時が満ちたのは、バプテスマのヨハネがヘロデ王とその妻の不義の結婚の罪を責めたために捕らえられた時でした( 6:17-18)。 その時以来、イエスは断然立って、ヨハネの真理の戦いを受け継ぎました。そして第一声をガリラヤで上げました。
15 「時は満ちました。神の国は近づきました。悔い改めて福音を信じなさい。」
イエスの登場により神の国は近づきました。イエスの十字架と聖霊の降臨によってすでに神の国は私たちの心の中に訪れました。あとはイエスの再臨と共に神の国がこの地に完成するのを待つだけです。イスラエルの民がいや全人類が待ちに待った救い主が現れたのです。もう神の国の完成はそこまで来ています。わたしたちはイエスがいつ再臨してもよいように心の準備をしておかなければなりません。いつ天に召されてもよい態度を持たなければなりません。
イエスの教えを一言でいうなら、「悔い改めて福音を信じなさい」です。「生まれ変わって、キリストの罪のゆるしを信じなさい」という事です。
16 ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖であみを打っているのを見かけました。彼らは漁師でした。
シモンはペテロの本名です。アンデレは始めバプテスマのヨハネの弟子でした(ヨハネ 1:40)。ヨハネがイエスを指して「見なさい、あの人こそ世の罪を取り除く、神の子ヒツジ」(ヨハネ 1:29)と言われて、アンデレはイエスをたずねました。そして「私は救い主を見つけました」とシモンに告げ、イエスの許に連れていきます。その時イエスはシモンをケパ(アラミ語で「岩」)と名付けました。ケパをギリシャ語に訳するとペテロとなります。
17 イエスは彼らに言いました。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしましょう。」
イエスは最初の弟子として漁師の兄弟をすなどりました。弟子の道は師に従うことです。魚を取る漁師から人のたましいをすなどる伝道師への生まれ変わりです。伝道師のあみは神の言葉です、福音です。福音によって集められた魚が信徒です。初期のキリスト者は魚のマークを信仰のシンボルとしました。魚をギリシャ語で ichthus (イクスース)といい、イエス(iesous)キリスト(christos)神 (theos)子(huios)救い主(soter)の頭文字と一致したからです。
18 すると、すぐに、彼らはあみを捨てて従いました。
イエスからの召しに対してペテロとアンデレは全てを捨てて応じました。「父母、兄弟、財産、そして自分の命までも捨てて、私に従うのでなければ、私の弟子となることはできません」(ルカ 14:26)とイエスが教えられたとおりです。しかしながら、すぐ後で出てきますように、イエスはペテロの家によく出入りしていました。
19 また少し行くと、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネを見かけました。彼らも舟の中でアミを直していました。
20 すぐに、イエスは彼らを呼びました。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行きました。
イエスは伝道の始めにシモンとアンデレ、ヤコブとヨハネの二組の兄弟を弟子として得ました。この4人はイエスが最も親しくした弟子でした。ヤイロの娘の復活( 5:37)、ヘルモン山の変容( 9: 2)、オリーブ山での終末預言(13: 3)、ゲッセマネの祈り(14:33)の時はこの4人あるいはアンデレをのぞく3人だけを連れました。矢内原は言います、
彼らは伝道の助手としてのみでなく、イエスの伴侶として、イエスの愛の特別の対象として、またイエスを身近くいたわり、なぐさめる者として選び出されたのでしょう。(イエス伝、34)
4人はすべて漁師でした。そしてこの4人に特徴的なのは日常の労働の最中に召命を受けたことです。イエスの12弟子の内、イスカリオテのユダを除く11人がガリラヤ出身の平民でした。イエスの教えは労働者のための教えであり、イエスの福音は平民のための福音でした。
イエスの奇跡につまずく人は少なくありません。マルコに多い奇跡の記事に入る前に矢内原の解説を聞いて下さい、
マルコによる福音書にはイエスの教えよりもわざの記事の方が目立って多いです。これは資料の主な提供者であったペテロの人となりが、思想や教訓よりも実際を重んじる人だったからでしょうが、マルコの目的が切迫した迫害の時において信仰を堅持させるためだったからでしょう。無事大平の時には議論もよいですが迫害の時代には言葉よりもわざ、思想よりも力です。ですからマルコによる福音書には奇跡の記事が多いですが、どれ一つとしてイエスさまの姿に後光を飾り、もったいをつけ、現実離れした仏だん神だなの奥にイエスを祭り込もうとしたものがありません。イエスの奇跡は福音を目に見せて解き示す方法でありました。イエスさまの話が言葉の奇跡であったように、イエスさまの奇跡はわざの言葉でした。(イエス伝、38)
21 それから、一行はカペナウムに入りました。そしてすぐに、イエスは安息日に会堂に入って教えました。
ヨルダン川やナザレからカペナウムに行くにはテベリアを経てゲネサレ平野を通ります。テベリアは領主ヘロデ・アンテパスが宮を構えたところです。ゲネサレを過ぎてペテロとアンデレを召し、またヤコブとヨハネを呼び、カペナウムの町に入りました。
ユダヤ人の聖書集会所(シナゴーグ)は外来伝道者や霊感を受けた人の自由な説教やスピーチが歓迎されていました。霊感を受けた人が自由に語れる集会は今日でもクエーカー(フレンド)や地方召団などで見ることが出来ます。イエスの最初の伝道はシナゴーグで始められました。パウロの世界伝道もやはり世界各地に散在しているユダヤ人のシナゴーグが中心でした。
22 人々はその教えに驚きました。それはイエスが、律法学者のようにではなく、権威ある者のように教えられたからです。
学者は知識を教え伝えますが、預言者は生命(カリスマ)を現します。説教は聞く者の信仰的倫理的徳を高めることをその目的としていまが、イエスにはその説教のカリスマ(資質)がありました。
23 すると、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、すぐに叫んで言いました。
24 「ナザレの人イエスよ、いったい私たちに何をしようというのですか。あなたは私たちを亡ぼしに来たのですか。私はあなたがだれか、知っています。神の聖者です。」
神の言葉は聖なる者と汚れている者を鋭く分けます。肉の思いと霊の思いを分別する両刃の剣です。汚れている者は聖なる者に耐えられません。神聖な福音は亡びる者には死の香り、救われる者には生命の香りです(2コリント 2:16)。
25 イエスは汚れた霊をしかって言いました、「黙りなさい。この人から出て行きなさ。」
26 すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行きました。
イエスの大いなるわざは悪霊追放です、汚れた霊から人を清めることです。罪のとりこになった人はすべてサタンの霊の支配下に売られた者です。イエスがこの世に来た目的の一つはサタンの霊から人を解放することです。そしてイエスにはその力、その権威がありました。キリストが私たちの内から悪霊を追放するとき、私たちはその痛み苦しみにおもわず叫び声を上げます。その手術の痛みを私たちは神に信頼して耐えます。キリストによる悪霊追放の手術を受けなければ私たちの死は避けられないからです(日々のかて、1月25日)。
27 人々はみな驚いて、互いに論じ合って言いました。「これは何とした事でしょう。権威のある、新しい教えではありませんか。この人が命じると、汚れた霊さえ従うのです。」
そして汚れた霊の追放は悔い改めのために必要です。私たちの心から悪霊を追放して、真の悔い改め(メタノイア)をもたらす力こそ、本当の奇跡です。矢内原はいいます、
エレミア 31:18私たちは自分で神に返りたいと思いますが返れないという嘆きをもちます。それは汚れた霊が私たちを押さえているからです。あるいは理屈っぽい霊とか、あるいは世の中の快楽の霊とか、これを追い払わなければ私たちは悔い改めることもできません。そしてこれを追い払って、私たちに悔い改めを出来るようにして下さるのはイエスご自身の力です。それが奇跡なのです。(イエス伝、39)
28 こうして、イエスの評判は、すぐに、ガリラヤ全地の至る所に広まりました。
イエスの伝道の始めは大変なセンセーションをガリラヤ全土に巻き起こしました。今までに聞いたことのない教え、見たことない業、触れたことのない権威に接したからです。
29 イエスは会堂を出るとすぐに、ヤコブとヨハネを連れて、シモンとアンデレの家に入りました。
イエスは伝道をはじめてから衣食住を天の父に任せていました。招待する人の食事にあずかり、歓迎する人の家に泊まりました。時には枕するところがなく、飢え、着る物がないときもありました。しかし衣食住のことでわずらいませんでした。イエスをいつも歓迎した家にはカペナウムのペテロの家、ベタニアのマリアの家がありました。
30 ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床に着いていたので、人々はさっそく彼女のことをイエスに知らせました。
ペテロのしゅうとめですから、ペテロには妻のいたことがわかります。ペテロは妻の家に入ったのでしょうか。彼はベツサイダの出身と言います(ヨハネ 1:44)。その後のパウロの手紙からペテロは妻を連れて伝道していたことが判ります(1コリント 9: 5)。
31 イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こしました。すると熱がひき、彼女は彼らをもてなしました。
しゅうとめが熱で寝込んでいた原因にペテロが家を捨てイエスに従ったことがあるかもしれません。しかし今ここにイエスに出会ってしゅうとめはそのわずらいから解放され、イエスに仕えるものとなりました。
32 夕方になり日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた者をみな、イエスのもとに連れて来ました。
33 こうして町中の者が戸口に集まって来ました。
ユダヤ人の一日は日没と共に始まります。日が沈めば安息日は終わり、次の日が来ます。人々は再び行動の自由を得てイエスのもとに来ました。しかし何のために来たのでしょうか。イエスの教えを聞きに来たのでしょうか。メシアに出会って、たましいの救いに入るためでしょうか。そうではありません。イエスの奇跡の力によって肉と悪霊の病を治してもらうためです。
34 イエスは、さまざまの病気にかかっている多くの人を直し、また多くの悪霊を追い出しました。そして悪霊たちがものを言うのを許されませんでした。彼らがイエスをよく知っていたからです。
しかし、イエスはこれらの人々をあわれんで、その病をいやしました。イエスによって、「目の見えない人が見えるようになり、耳の聞こえない人が聞こえるようになり、らい病人は清まり、貧しい人は福音に接した」(マタイ 11: 5)のです。
35 さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っていました。
イエスの活動は朝が早く祈りと共に始まります。祈りは神とのプライべートな交わりですから、イエスは他人に聞かれることのない、さびしい場所で祈りました。
36 シモンとその仲間は、イエスを追って来て、
37 彼を見つけ、「みんながあなたを捜しております。」と言いいました。
ペテロの家の入り口で泊まりがけで並んで待っていた病人たちはイエスがなかなか出てこないので騒ぎ出したのでしょう。弟子たちはイエスを捜しに来ました。
38 イエスは彼らに言いました。「さあ、近くの別の町へ行きましょう。そこにも福音を知らせましょう。わたしは、そのために出て来たのですから。」
カペナウムはイエスの福音を最初に聞く栄光を受けました。しかしカペナウムの人々はイエスの教えに驚いてもそれを信じず、肉のいやしは求めても霊のいやしは求めませんでした。イエスは失望しました。「ああ、天まで上げられたカペナウムよ、あなたはなぜ地に落ちたのですか」(マタイ 11:23)。
イエスは病いのいやしのためではなく、福音を人々にのべ伝えるために来たのです。ペテロの家の前で一日中病人を治し、悪霊を追放するのが本来の目的ではありません。人が生まれ変わって罪の赦しの福音を信じるために伝道に出たのです。ですから多くの病人に待ちぼうけをくわせて、つぎの町へ出ていきました。イエスは神への祈りによって、この決断に達しました。
39 こうしてイエスは、ガリラヤ全土にわたり、その会堂に入って、福音を告げ知らせ、悪霊を追い出しました。
40 さて、ひとりのらい病人が、イエスのもとに来て、ひざまずいて言いました。「御心ならば、私はきよくしていただけます。」
イエスのうわさはすでにガリラヤ全土に広がっていて、このらい病人もそれを聞いてイエスのもとに来たのでしょう。らい病はひふが白くただれる伝染病でこれにかかった人は他の人から隔離されなければなりませんでした。このらい病人は治してほしい一心で人目もかまずイエスのもとに押し掛けたのでしょう。
41 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言いました。「わたしの心です。きよくなりなさい。」
42 すると、すぐに、そのらい病が消えて、その人はきよくなりました。
イエスはらい病人の一途な信仰をあわれみました、そのひたむきな態度に動かされました。人の切なる信仰とイエスの愛が出会うところに奇跡は起こります(日々のかて、12月15日)。
43 しかしイエスは、彼をきびしく叱って、すぐに彼を立ち去らせました。
しかし振り返って見ると、このらい病人はモーセの律法を犯してイエスに近づいたのでした。らい病は人と接触してはいけない決まりになっていました。なのに彼は大勢の群衆の中に入ってイエスのもとに来たのでした。そのことを意識してイエスは彼をすぐ立ち去らせたのでしょう。らい病人が他人の迷惑を考えず、自分のためだけにイエスのもとに来たことを、ここで叱り付けたのかも知れません。
44 そのとき彼にこう言いました。「だれにもこの事を語ってはいけません。ただ祭司の所へ行って、自分の体を見せなさい。そして、モーセが命じた物をもって、あなたのきよめの供え物をし、体が清まったことを人々に証明しなさい。」
イエスは新しい教えをたずさえていたのですが、古い律法を尊重しました。この世における義務をおこたりませんでした。
45 ところが、彼は出て行って、この出来事をふれ回り、いい広めました。そのためイエスは表立って町の中にはいることができず、町はずれの寂しい所にいました。しかし、人々は、あらゆる所からイエスのもとにやって来ました。
私たちはここにイエスの伝道の始めがたちまちガリラヤ全土に広まったことを見ます。それは枯れ草につけられた火がたちまち燃え広がったような光景です。しかし、それはイエスの意図したものではありませんでした。人々はたましいの救いでなく、肉のいやしを求めて集まってきました。神の国の福音でなく、私的ないやしの喜びをふれて回りました。無理解な信者のためにイエスの伝道はその道を狭められました。
99/06/19